前回は「失敗は楽しい」ということに気づきました。
失敗をちゃんと笑える? 子供のように。
「失敗を楽しもう」ではありません。失敗は楽しくて愉快なのです。
もう一回整理してみようと思います。
これと似たことがつい最近ありました。
「考える楽しさ」を生徒と共有する先生の「雑談システム」(その1)
「考える楽しさ」を深く検討してみると、今までの思い込みとは違った景色が見えてきたのです。
一番大切なポイントは「こどもは考える楽しさ」を知っているということです。子供達が遊んでいる時、ルールはどんどん変わっていきます。ルールを考えてやってみて、より楽しくなったり、案外つまんなかったり、そういう試行錯誤が大好きです。
ですから、大人の持つ「考える楽しさ」をこどもは新しい素養として学ばなければならないわけではなく、こどもの「考える楽しさ」からうまく橋渡ししていけばいいだけです。
先生には「考える楽しさ」を知っていて、それをこどもに伝えたいと頑張っていますが、大部分の大人は「考える楽しさ」を忘れ、むしろ「考えることは大変なこと」と敬遠します。むしろ大人が子供たちから「考える楽しさ」を学ばなければならないのではないでしょうか。
そして、どうやら「失敗」も同じです。
「失敗を楽しもう」とか「失敗を恐れずチャレンジを」などという言葉が大人の社会では繰り返し叫ばれていますが、その時点で大人の社会は完全に間違ってしまっています。
本来「失敗は楽しい」のです。
子供達が何かの遊びのなかで挑戦している時、成功するまでは辛そうですか? なにかを積もうとしている時とか、むしろ崩れるときを楽しんでいます。
しかし、「失敗を楽しもう」とか「失敗を恐れずチャレンジを」という言葉がまことしやかに語られているということは、大人の社会で「失敗」は本来楽しくないものと考えられているのです。
なんという損失でしょう。
「失敗は楽しい」のであれば、挑戦は「やらいでか」なマターです。だって、失敗しても楽しいし、成功したら、嬉しいし楽しいしいいことばっかです。だから、こどもはいつも挑戦しています。大人からみればあまりにくだらない挑戦で挑戦に見えてませんが、こどもの視点でいえばどれもこれもみな挑戦です。そしてそれは、成功したら楽しいからしているのでしょうか? こどもがそんないつも辛抱強いわけではありません。失敗したって楽しいからです。だから挑戦するのです。
失敗しても楽しいから挑戦する、そのシンプルな原則がどうして大人の世界で忘れられているのかとても不思議です。でもたとえば、おしりにロケット花火挟んで火つけて発射させようしたら、飛んでいかなくてあちちちちちちってなったりとか、そんなバカな失敗をつなげた動画はめちゃめちゃ楽しく、定期的に流れてきます。つまり笑っていい状況さえ作れば、大人だって大いに笑い飛ばしているわけです。
なぜ、状況が作られなければ大人は失敗を笑わないのか。今日家族で「ハッピーフィート2」見ましたが、そこでも言われていました。「他人の失敗を笑ってはいけない」と。そう私たちの社会は「失敗を笑ってはいけない」としてしまっているのです。
ここは考え所です。だって、失敗は本来楽しいのです。だから挑戦するのです。ごくたまにしか成功しない挑戦が成功するまで辛くしかないのだったら、誰も挑戦しなくなってしまいます。
こう考える人もいるでしょう。「世の中には楽しくない失敗があるじゃないか。インチとセンチを間違えて作業してスペースシャトルが落ちたのを楽しいと言うのか」と。
もちろん楽しくない失敗はいくらでもあります。でも、楽しくない失敗があるからという理由だけで、すべての失敗は楽しくないと考えるのは無理があります。
そこが決定的な差を作ります。楽しくない失敗はあるけど、それ以外の失敗は楽しいと知っている人は、息をするように挑戦をしています。1日のうちに小さな挑戦を無数にして楽しんでいます。そうやって無数の挑戦をしている人は、挑戦し慣れています。
もし、ふだん挑戦をしない人と、毎日無数に小さな挑戦をしている人が、失敗が笑えない挑戦をするとき、どっちがより失敗しないでしょうか。そもそも、ふだん挑戦をしない人は、そんな怖い挑戦できるでしょうか。
以前ここで失敗について取り上げた時、
失敗をたたえられる日本になる前に、失敗できる人になってしまおう。
無数に挑戦しればいいと書きました。無数に挑戦してれば、失敗もいっぱいします。人はそれに慣れてくれますから、失敗しても平気になります。
そして今回わかったことは、失敗しても本人は楽しいし、まわりも息があえば大いに楽しんでくれます。その時は、「失敗を笑って」いるのであって、「その人をバカにしている」わけではありません。以前の記事で取り上げた、ニコニコ学会βでロボットが全く動かず会場は爆笑の渦に巻き込まれましたが、失敗を笑ったのであって、プレゼンターをバカにしたわけではないのです。
失敗を笑う文化は、関西では健在です。失敗したら、一般人だって、ここぞとばかりに笑いを取りに行くことがあります。だいたい、失敗した本人が一番楽しんでいたりしますから。
失敗が楽しいのはおかしいと思う人は、失敗が楽しくない挑戦ばかりしたり、見たりしているからです。失敗が楽しくない挑戦以外は失敗は楽しく、またそういう挑戦の方が圧倒的に多いのです。
以上を考えれば、挑戦するこどもになって欲しければどうすればいいのか、方針は簡単に立ちます。「失敗は楽しい」というパラダイムシフトですから、方針が簡単に立ったからといって、実行は大変ですが。
こどもが日々やっている挑戦を極力邪魔しないことです。大人から見れば心底いらんことに見えても、なるべく放っておくことです。
そして、観察して、子供達が失敗に笑う間合いを、学びましょう。無理に参加する必要はありません。あ、そこで笑うのかと勉強するのです。
ときに、それはどうしても笑うべきではないと思うことがあれば、それはそう指摘すればいいでしょう。でもそれはその特定の場の問題です。改めて考えれば実は笑ってもいいかもしれません。失敗した人を笑らわずに、失敗した人も一緒にみんなで笑えるのかもしれません。失敗した人が笑ってないなら、とりあえず笑わないとかいいかもしれません。その辺は大人とこども互いが学びあえばいいでしょう。
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