こんな記事を見かけました。翻訳ものです。
誰か、オンデマンドでない不便なサービスを作ってほしい…本当に充実した人生のために
最近なんでもオンデマンド、欲しい時にすぐに手に入るようになったけど、それは人間を堕落させるから、不便なサービスを作って欲しい、たとえば Amazon で注文したものを隣町まで行かないと受け取れないとか、といった感じの内容です。
言いたいことは分からないでもないですが、これは深刻な現代病に少なくとも2つかかっています。
もし、この記事を読んで「ふんふん、その通りだ」と思ったら、同じ病気にかかっている可能性があります。こんな病気にかからないようしっかりチェックしてみようと思います。
1) なんでもオンデマンドに手に入るという錯覚
日々どんどん便利になりますから、なんでもオンデマンドに手に入るようになると錯覚してしまいますが、そんな世だからこそ、オンデマンドで手に入らないものに価値が置かれるようになりました。
ライブはその典型です。音楽そのものはとても安価に聞くことができるようになりましたが、その分ライブに人気が出て、アーティスト達もライブに力を入れています。バーチャルリアリティなどが発達することで、ライブのような臨場感を再現する技術はどんどん発達するでしょうが、どんなに発達しようとも、それゆえに、アーティストのいる会場で、アーティストと同じ空気を吸いながら、ほかのファンと共にライブを楽しむことの価値は格別なものとなります。ライブなんて不便の象徴でしょう。その日、その場所に行かないといけません。どんなに技術が発達しても、逆にそれではできないことに価値を見出していくのです。
google の位置ゲーム、ingress もその例でしょう。歩き回らないとゲームが進まないという不便さをゲームにし、それが大人気となっているのです。
つまり、便利になったらなったで、その分不便なものに価値が出ているわけで、わざわざ「Amazon で注文したものを隣町まで行かないと受け取れない」なんてサービスを人に強制する必要はありません。そんなことしなくても、不便だからもてはやされるサービスがいくらでもあるのです。
世の中には便利になって空いた時間を不便なことに振り分けている人がたくさんいて、そこにちゃんとマーケットが生まれているのです。その需要にこの著者は気づいてません。「なんでもオンデマンドに手に入って人間が堕落する」と思っていますが、周りには不便なサービスをもてはやしている人がいくらでもいるのです。
2) 不便なサービスを作ってという「くれくれ」病
仮になんでもオンデマンドに手に入る状況が良くないとして、だから、 ingress のように不便はビジネスチャンスだと言うなら、すっと読んだんだと思います。あるいは、自分の生活があまりに便利になりすぎたので、日常にこんな不便を取り入れてみました、というのも、よくある感じのお話です。
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