子供たちへのメッセージ15/4/15編(その3)  の続きです。


 子供たちへのメッセージ15/4/15編は今日で終わりです。

 最後に、学ぶことについて、学者が学問の目指す人にいう言葉が、他の人には役に立たないことについて考えます。

 かつての右肩上がりに成長していた時代にはよくわからなかったことですが、持続的な社会になろうという今、学者さんたちが何気なくいう言葉が自分たちに当てはまるか一度考え直す必要があります。

 たとえば次の言葉。4日前のツイートから。

勉強なんかしててもオリジナルな事は出来ないし、勉強すらしなければ、オリジナルなことなんかできるわけがない、二番煎じ以前で終わる。

― Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2015, 4月 16
 私たちは学者さんたちのこのような言葉を何度も聞いていますし、これが当たり前のように思っています。

 しかし、この言葉は、上位1%あるいはもっと少ない人、学問を志す人にだけ必要な言葉です。

 世の中の99%の人はオリジナルなことなんてする必要がありません。でも、私たちの周りには解決したい小さな問題がわんさかあります。例えば地域の交通弱者が普段の交通に困っているとします。かつてはバスがありましたが、それが回らなくなってしまいました。かといって、それに代わる全国どこでも通用するような普遍的な解決方法があるわけではありません。

 しかも、こんな地域の問題を1%のエリートがやってきて見事に解決してくれるわけではありません。その地域の人が勉強して、何番煎じだろうが他の地域やあるいは外国でやられているような方法を自分たちの地域にすこしカスタマイズして回る仕組みにしなくてはいけません。

 その地域のためにカスタマイズしたのであれば、それはそれでオリジナルではあるのですが、それは結果であって、学問のようにオリジナルを目指す必要はまったくありません。目的が違います。こちらの目的には、地域の交通に困っている人を助けること。他のと全く同じかもしれません。それでもかまいません。オリジナルかどうかなんてどうでもいいことです。

 つまり「勉強しても、オリジナルなことしなくてもいいし、勉強して何番煎じだろうがやってのけて身の回りの問題を解決しよう!」というのが、99%の人にとって必要な、つまり学校でいうべきことです。その中から超飛び抜けた人たちには別途、さっきの言葉をあげればいいのです。それ以外の人にあげても、勉強が嫌になる人を増やすだけです。

 もう一つ。やはり4日前のブログから。

 「自分の頭で考えるなんてやめたほうがいい」という研究者の話。

「そうですね、若い研究者や学生にありがちなんですが、よく調べもしないで、「私はこう思った」って言うんですよね。」

「なるほど」

「そんなこと、とうの昔に他の人が考えていて、「もうそんな研究は山ほどあるよ」っていっても、自説にこだわるんです。もう、そういう奴は「バカ」って呼んでいいと思いますね。」
 
 これも学問の世界という、全世界共通のプラットフォームの世界、上位1%の世界の話でしかありません。

 身の回りの小さな問題を解くには、「自分の頭で考える」ことが決定的な役目をします。なぜなら、その地域の問題を根本的に内包するからです。

 プレゼンサイト TED の中でも屈指の感動的なプレゼンの一つにこんなのがあります。

 ウィリアム・カムクァンバ: 私がやって見せた風力発電

 電気も満足にない地域に暮らすカムクァンバが自転車の発電機を使って風力発電をし、電灯を灯したり携帯電話を充電したりとQOLが向上したというお話です。

 自転車の発電機を使って風力発電なんて、オリジナリティはありません。日本ならちょっとした小学生でも作ってしまうでしょう。

 でも、これは彼が自分の頭で考えたから実現できたのです。発電の方法なんて無数にあります。その中からどれなら自分の集められる部品でできるか、それは自分でできる方法か、といった無数の拘束条件のもとで可能な方法を見つけなければなりません。

 その逆の立場のプレゼンもあります。

 エルネスト・シロッリ 「人を助けたいなら 黙って聞こう!」

 これは見るとめちゃめちゃ面白くネタバレいやなので、具体的に書きませんが、外から支援しようとして失敗する例が出てきます。しかも現地の人たちはそれは失敗すると分かっていたそうです。