戦後から人々が自由な選択ができるようになり、それぞれの人々がそれぞれの生き方をしてきました。そんな中、昔々の典型的な生き方をしていない人たちの声が聞こえるようになってきました。

 53歳独身だけどやる事なくて辛い 

両親は共に他界してる。 本当にやる事がなくて暇だ。 会社ではそこそこのポジションにいて、それなりに給料を貰っているが使い道が無い。
 きっとスペック的には独身貴族なんでしょうけど、やることがないと。
私が死ぬまであと40年程ある事に絶望してる。
毎日仕事して帰宅して起きてまた仕事しての繰り返し。
週末は本当に何をしていいか分からない。  
 
結婚しておけば良かった。

 人生いろんな生き方はありますが、人間の長い歴史を見てみれば、普通に結婚して普通に子供を持つことは、普通に人生退屈せずに済みます。

 ならば、子供にはひたすらそれが普通だと刷り込んでおきたいのです。とりあえず孫絶対ほしいし。でも今日日強制はできません。だから、自分たちが幸せな夫婦となり、子供達がいて幸せとひたすら見せることで、無意識に(ふうん、そんなもんか)と思わせておくのが大切です。

 もちろん、それでも違う人生を歩むのは構いませんが、幼い頃から、結婚はすべきかするべきでないかなんて問題を抱えてしまったら、適齢期のとき、するべきという結論になる確率は相当下がります。その年齢で結婚すべきか、子供産むべきかと考えると、合理的に考えたら、しないほうがいいよねってなっちゃいます。

 でも、何十年か後の自分はそう思わないかもしれないのです。

 だから、昔から年寄りたちは、「結婚しろ、子供産め」の価値観を押し付けようとするわけです。まだその気もないのにお見合いさせたりするわけです。そんなの昔々からずっとそうなのです。

 だから、先進国は少子化が問題になるのです。適齢期の人間に合理的に考えてもらっては困るのです。

 社会としてこの問題にどう取り組むかはともかく、私は子供にひたすら「普通に結婚して普通に子供を持つことは幸せなことだ」と信じ込ませる努力をするのみです。

 先日海燕さんが、長い間考えに考えた末、「自分の物語の主人公として生き」ようという結論に至ったと書かれていました。

 牢獄から、外へ。 

 その言葉だけ聞けば、ジョブズの一番有名なスピーチにも出ている言葉ですから、誰でも知っているような言葉です。でもそれを自分で考えて考え抜いて、その言葉を掴み取ったというのはすごいことだと思います。これから何を起こしてくれるのかワクワクしています。

 でもその一方で、自分の子供たちには、無意識のうちに「自分の物語の主人公として生き」させたいと思いました。その是非を問うてしまったら、その答えを得るには何十年もかかってしまうのです。そうではなく、当たり前のように「自分の物語の主人公として生き」ていると信じこませる。それが私たち親の大きな挑戦になります。これは簡単なことではありません。中学受験だってさせるつもりです。仮に自分でやると言ったとしても、そこに追い込んでしまったら、いま絶賛放映中の福山が舞台の「流星ワゴン」になってしまいます。どうすればそうならずに「自分の物語の主人公として生き」てもらうことができるのか毎日手探りです。

 さらには、子供達には「どうして勉強するのか」「なぜ働くのか」という問題にも直面することでしょう。お金のために働くし、そのために勉強しておくなんてところにはまりこんでしまうと、じゃあお金欲しがらなければ、最低限働けばいいの?っていうところに落ち込んでしまいます。若いときはそういう考えにはまりこまざるを得ないと言っていいでしょう。

 でも、働くなんてそんなことではありません。