なぜ、日本のリーダーは「志」と「野心」を混同するのか?
という記事を読みました。
「野心」とは、己一代で何かを成し遂げようとの願望のことです。
これに対して、「志」とは、己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、次の世代に託する祈りのことです。
これを読んだ瞬間、ここ数ヶ月悶々としていた悩みが氷解しました。ああすっきり。
今支援している学習塾ブランチは出張型の塾です。今までの塾は地方だと駅前にしか作れないため、塾のない地域はたくさんあります。そこに塾を届けようという事業です。
このビジネスを支援するうちに、中学生の半分が学校のカリキュラムについていけず落ちこぼれているという現状を知りました。
一方で、かつて学校が整備されて識字率が99%になったように、eラーニングなどの新しい教育パラダイムを駆使することで、全子どもが落ちこぼれることなく義務教育過程を身につけられる可能性が出てきていることも知りました。
ブランチの取り組みは、その一翼を担うことでしょう。
ところが、この事業の紹介をすると、半数以上の人が「これは社会事業なのか、それともお金儲けなのか」と聞きます。実はそれは質問ではなく(少子化だしこれ儲からないよね、社会事業としてがんばってね)と言う代わりなのですが、それにしても、この二択の質問が繰り返されることにうんざりしました。
でも、今この「志」と「野心」の話を聞き、対策を思いつきました。
「志」として、例えば「全国の、そして世界のすべての子どもに教育を届ける」という「己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、次の世代に託する祈り」を持てばいいのです。
一方、それは素晴らしい「志」ではありますが、もう少し具体的な目標がなければ、事業として進めることはできません。例えば「全国に1万教室作る」という目標です。これは己一代で達成しようという「野心」にあたります。いつか「志」という祈りがつながり達成されるために、自分がなし得る一部分になります。
この「野心」を達成するには、ビジネスとして成功させなければとても一代で1万教室まで広げることはできないでしょう。高い「志」の一翼を担うには、大いなる「野心」も必要なのです。
実は元記事では「野心」はネガティブな意味で使われていて、「野心」ではなくて高い「志」を持てと言われていますが、これからのビジネスはこの2つを合わせ持つ必要があるのではないでしょうか。「志」ばかり高くても「社会事業がんばってね、儲からないと思うけど」と言われるし、「野心」だけでは、また新たなブラック企業を生み出すかもしれません。
とこうやって見ると、いわゆる「ビジョン」と「ミッション」の話とほとんど同じことなのだろうと思います。でも、このカタカナ英語、結局日本人には分かりにくいですよね。
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