藤田晋さんのブログが話題になっていますね。
私が退職希望者に「激怒」した理由
二度目のチャンスを与えたのにそれを途中放棄して同業他社に移った元社員に激怒することにしたというお話で、もうあちこちで賛否両論、話題沸騰なわけですが、それだけ、怒りという感情をどのようにコントロールするかというのは、多くの人の興味なのでしょう。
私の若い頃は怒りの感情なんてものはおくびも出さないのがかっこいいとされていたと思うのですが、最近ちょっと変わってきてはいないのでしょうか。もっとも、自分は子供ができて激怒するよう変化したので、私の触れる情報が変わっただけで、社会の方は変わっていないのかもしれません。
それはともかく、この「激怒」の理由エントリーは印象的です。「激怒」をどのようにコントロールしているかという内幕は、普通こんな風に開示されることはありません。だからこそ反響も大きいのでしょう。
コントロールされた「激怒」とは、たとえばこんなのです。サザエさんがカツオがなんかやらかしたとき、次のシーンで波平が「ばっかも〜ん」と怒鳴る場面(昔はごつんしてましたが、きっと今はしないんでしょうね。もしかしたら怒鳴るのもなくなってるのかなあ)。
こないだ長男が調子の悪い水鉄砲をいじってたら、突発的に水が発射され、近くにいた関係ない次男に当たったときがありました。普段から「飛ぶものは人に向けない」ときつく言ってありますから、その瞬間彼の顔はみるみる青ざめ、こちらをちらっと見ます。間髪入れずに「だから人に向けるないうてるやろ!!!」と怒鳴りますと、「ですよね〜〜〜」みたいな顔でしおしおと反省しておりました。しおしおぶりは明らかで、それ以上小言をいう必要はありませんでした。
その間、1秒とかからないわけですが、「ここはキレるところ」と冷静に瞬時に判断して、その後は感情的にキレます。
この冷静に判断して激怒する技術について、もはや伝統芸の域に達しているのが野球の監督でしょう。球審の誤審濃厚な判断にバッターが怒り出そうとしたら、「そのケンカ俺が買った!」と飛び出してくる監督。最近は野球見ないので分かりませんが、昔で言うと星野監督とか野村監督とかの飛び出すタイミングは絶妙で、観客・視聴者は監督と一体となって、心置きなく怒りを審判にぶつけていました。
彼らが怒っている様は、完全にプッツン来ていて、まったく感情をコントロールしておりませんが、その前、怒る直前は「これは俺が怒るところ」と冷静に判断して、それからぶっつり感情を切るわけです。
しかし、監督たちは、そんな内幕を決して暴露することはありません。私は聞いたことがありません。もしそんな言葉が残っているならぜひ読んでみたいです。彼らが怒るのはあくまで感情がコントロールできなかったゆえということになっています。もしも試合後に「あの場面はキレる場面だと思ったのでキレました」なんて談話するようになったら、今後は見ててもちっとも楽しくなくなるじゃないですか。「怒っているように見えるけど、計算ずくか」と興ざめです。ですから、言うわけがありません。
私がさきほど、自分の子供に計算して怒鳴ったと書きましたが、ここは大人の世界ですから、子供は見ません。そうやって親同士は、こないだこういうことあって怒鳴っといたのよーと内情を暴露しあえます。監督たちも内輪では暴露しあっているかもしれません。が親は、もちろん子供には言いません。あくまで感情に任せて怒っていることになっています。
ですから、タイミングも大切です。「これは怒鳴るべきか、そうでないか」をじっくり考えているような様を見せては向こうも戸惑ってしまいます。波平は、場面転換直後に怒鳴ります。
このタイミングは実は兄弟喧嘩を見て学んでいます。仲良く遊んでいるのに、ある時、長男が禁止していることを次男がしたら、いきなり怒髪天です。ほれぼれする反射神経です。
もちろん、こめかみに怒りマークを付けておいて、溜めに溜めてから爆発する手法もありますから、怒鳴るか怒鳴らないかじっくり考えたい人は、まずこの溜めに溜める演技(これも感情的にはコントロールを失っている状態としての表現です)を身につけるのがいいかもしれません。
さて、ようやく、藤田晋さんのお話に戻りますが、プロジェクトを途中で放り出して同業他社に転職する社員に対し、
「激怒する」という方針を決めたと書かれていますから、これは、今まで書いてきたような激怒するかどうかがコントロールされた激怒なわけです。
ここまで書いてきたように、通常このような内幕は暴露しません。だって、これで、藤田晋さんのサイバーエイジェントでやっぱり同業他社に移りたい人が出たら、「激怒」の瞬間そのものは、もう怖くもなんともありません。
激怒の後も、業者が出入り禁止になるとか、元の会社の人と気軽につき合えなくなるとか、尾を引く話の方が、実質的な抑止力です。
ただし、これを淡々とやったら、つまり、引き抜かれますと言われ、淡々と全社員に、今後1年間その業者と元社員とつき合うの禁止、なんておふれを出したら、それはそれで○○ハラという問題に発展することでしょう。やはり、まず怒りで我を忘れる状態になり、その元で付き合い禁止などの怒号が発せられる必要があります。怒りの任せたおふれなら社員も一応それを守りつつも、現実動かなくてはいけない部分はこそこそつき合う融通が効かせられます。
したがって、「激怒」のプロセスは必要ですが、でも、その「激怒」はこういう条件のときと宣言するのは、それは「激怒」なのか?と戸惑われるのは仕方ありません。
ということで、本来であれば、藤田さんはこのような話をするとしたら、経営者のいるところだけで歌話ネタとしてすべきなのです。
あるいは、「『激怒する』という方針を決めた」と、冷静に言うのでなく、たとえ本心はそうだったとしても、紙の上ではひたすら
腹が立って腹が立ってどうしても許せなかった。今思い出しても腹が立つ。昔業界1位の会社がかんかんに怒っていたが、今ようやくその気持ちが分かった。私も昔は甘かったということですね
と感情論を書くべきなのです。激怒にみんなが持ってる夢を壊してもいいこと一つもないのです。
このような、冷静に怒る怒らないを判断して、感情的に爆発するという手法は、ガキに怒鳴る近所のオッサンから、夫婦喧嘩をしかける妻まで、幅広く活用されているわけですが、その内幕のノウハウを交換されることはほとんどありませんでした。
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