先日
あなたの創造性を阻害するもっとも大きな壁とは
という記事を書いたときに、紹介したいと言っていた話です。
最近、クリエイティビティにまつわる狂気に関する記事をみかけます。
じぶんのなかに狂気をちゃんと飼っておく
【赤ちゃんにやさしい国へ】クレイジーなひとりの女性が、日本の育児を変えていく。〜子育てシェア・アズママ取材〜
確かに独創的な取り組みを行うには、狂気と呼ばれるような普通ではない感覚は大切です。でも、コントロールが困難な荒れ狂う狂気が必要な人はまれで、普通は「狂気(養殖)」くらいを飼いならしておけば十分です。
クリエイティビティ、あるいは創造性は、論理の力だけでは発揮できません。論理の力だけで考えられることは、もはやコンピュータでもできることであって、それを創造的だとは言いません。
したがって論理の力だけでは不十分で、なにかしらのジャンプが必要です。
このジャンプの力が、時として「狂気」と言われています。
たとえば、子育てシェア・アズママのお話では、話をしている甲田さんがかつて保険会社の人間でもないのに保険の組み方について世界の保険の胴元的な会社、イギリスのロイズに電話をかけたら「クレイジーだ」と言われたというエビソードが載っています。
さて、甲田さんは本当にクレイジーなのでしょうか。素晴らしい発想力の持ち主であることは間違いないですが、別にクレイジーである必要はありません。
なにか、今までにない画期的な商品・サービスを生み出すには、どこかにジャンプがいります。すべて常識的に考えたら、できるわけがありません。それでできるならとっくに誰かがやるからです。
甲田さんが思い描いた「子育てシェア」を実現しようとしたら、いくつか簡単ではないことがあり、そこでは大いにジャンプしなければならなかったからしたのではないでしょうか。クレイジーどころか、超現実だったのです。
ミラフツでは何度かバランスをとるのが上手で調整役として活躍する人の話を紹介しています。ちょうど昨日も、そういう人は情報発信していないという話でした。
情報発信しない経営者はいくらでも必要。情報発信されない情報もいくらでも必要
そういう方々の話を聞いていると、結果として取りまとめた案は、非常識なものだったりします。つまり常識的な解決方法で調整がつくなら、とっくに付いているのです。
でも、通常の解決方法では、丸く収まらない。だから、優れた調整役が必要で、で、その人は関係者たちの話を良く聞き、共感します。そして、関係者たちが納得できる案を、従来の方法に囚われずにあれこれ考えるわけです。
その解決方法は、過去に例がないわけですから、並々ならぬ創造力が必要です。結果としてまとまった案は非常識な「クレイジー」な案ですが、その調整役の人柄はクレイジーとはほど遠い人です。
ですから、実は「じぶんのなかに狂気をちゃんと飼っておく」というような文脈で必要なものは、荒れ狂う狂気ではないのです。
論理的に言葉に説明できないので、狂気という言葉がぴったりしてしまいますが、私たちは人間は言葉で説明できない方法で日常的に考えています。
これは以前、
ミラフツ、右脳バランス編 目次
で深く取り上げました。人間は言葉で逐次的に考える一方で、イメージで並列処理的にも考えます。視覚なんかはその代表で、無数の白い丸の中に一つ赤い丸があるとしたら、言葉で説明することなしに簡単に見つけ出すことができます。
視覚以外でもこの力はふんだんに使われています。たとえば二つの異なる物を組み合わせることで、なにか新しいものが生まれることはよくあります。携帯とカメラが組合わさったことでガラケーは大いに反映しました。スマホでもカメラは当然ついています。
もし、私が今から、とりあえず1000個くらい単語を並べて、1000×1000の組み合わせ、つまり100万通りの可能性を順番に逐次的に検討したら、いくつか新しい発明ができるかもしれません。ちなみに、1000×999通りではと思った人は、もう少し落ち着く必要があります。携帯×携帯でだってなにかできるかもしれません。でも、いたずらに歳をとりそうです。
でも、並列処理的な考えもできる人間の脳は、どうやっているのかさっぱりわかりませんが、自分の頭の中にある無数の概念を二つ組み合わせて、ぱっとひらめくことができるのです。
紹介した「じぶんのなかに狂気をちゃんと飼っておく」では、
高度なクリエーションには、つまり、圧倒的なところまで到達するには、脳内か体内かよくわからないけれど、なんらかの狂気の活躍が不可欠だと思う。と始まっていて、つまり、極めて高いレベルの創造力を見据えていて、はい、そのためには「狂気(野生)」くらいすごい狂気が必要かもしれません。
しかし、それ以外の平凡なわたしたちが求められているのは、そこまですごいものではなく、
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