ミライ: フツクロウさん。面白い記事みつけましたよ。
フツクロウ: ホウ。
ミライ: 鳥が、近づいてくる車に対して、車の速度を見て飛び立つのか、「その道の制限速度」に合わせて飛び立つのかを調べるという研究です。
鳥は道路の制限速度を知っている? - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト
フツクロウ: どれどれ。
「(通勤が)とても退屈だったので、運転中に何かしようと、飛び立つ鳥の記録をとることにした」と、ルガニュー氏は述べる。ほうほう。通勤の時間を使って、ストップウォッチを使って鳥の行動を記録するだけというまったくお金のかからない方法で始めた訳じゃな。
ミライ: そうですね。もともと通勤の時間なので、直接的な人件費もかかってないですね。
フツクロウ: ホウじゃ、ホウじゃ。しかも、とにかく測ってみようということで、そこからどんな結果を出したいかとか、それをどんな応用につなげていかなければならないかとなんてことも、おおまかにイメージしてあっただけじゃないかの。
ミライ: お金とかかかってないから、「説明責任」もいらず、「やりたいからやった」わけですね。
フツクロウ: じゃな。それで、ある程度データとって分析してみたら、車のスピードでなく、道の制限速度の方に関連が強いとわかっていったわけじゃな。
これで、なにかが分かったので、これからはちゃんと研究所で研究として調査ができるじゃろ。これをきっかけに面白いことがわかるといいの。
ミライ: そうですね〜。でも、この人もともと研究者なんですから、研究として始めれば良かったんじゃ。
フツクロウ: ホウじゃな。
例えば大学の研究では、主に一律にもらえる研究費と、計画書を書いて優秀なものに配分される競争的資金がある。後者は事前にどういう結果が期待されて、社会にどう貢献するかというところまで、研究が始まる前に計画されておる。
実は、研究者にとって、ある意味退屈なことでな。計画通りやって、計画通り結果が出ても、それじゃ「作業」じゃ。じゃから、やりながら、もっとすごいことを目指したり、やりながら思いもしなかったようなきっかけを見つけたらそれをちょっと調べてみたり、そうやって、楽しく研究をしている。じゃが、なにかしら制限がつきまとうの。
かつての google の20%ルールのように、本当に新しいものを見つけたかったら、制約や事前の計画のない部分での研究が必要だということじゃ。
なので、研究者にはもっと一律にもらえる研究費を増やして、研究者に自由に研究させるべきだという主張もある。
ミライ: ですね。なんかわからないけど、気になるから調べるがないとものすごい発見は起こりにくいかもしれません。
フツクロウ: ホウじゃ。「選択と集中」というフレーズに見られるように、実際はより競争的資金の方が重みが増えておる。まあ、国もただ意地悪がしたいわけではなく、それを国民が望んでいて、説明責任を果たすためとも言える。同じ税金を使うなら、結果が出るものに使うべきだというのはある意味もっともじゃ。
ミライ: むむ。そう言われるとそうですね。
フツクロウ: じゃから、計画にない研究から楽しい結果が出る今回のような研究がこうやってメディアに取り上げられて、少しでも市民に伝われば、そか、そういう「研究になるかどうかわからない研究」も必要かと、一律の研究費現象に歯止めをかけられるかもしれんの。
ミライ: そうですね、こういう楽しい研究がもっと紹介されるといいですね!
フツクロウ: じゃが、一律研究費が増えたとしても、「研究になるかどうかわからない研究」の場合、研究室の学生など他人を巻き込みにくいの。みんな結果を求められるからの。それがあってこそ、「研究になるかどうかわからない研究」をする余裕がある。
また、たとえばこの研究もタダで始まっとる。この研究に限って言えばストップウォッチしかいらんかったようじゃし、昔ならお金がかかったけど今ならスマートフォンなどがあればすぐ始められるような実験は爆発的に増えておる。
そのおかげで、いまや研究は、誰でもできるようになってニコニコ学会のように発表する場もできておる。つまり、研究者に頼らずとも、気になった人が研究を始めてしまえるようになった。
じゃから、まあ大学は競争的資金中心でいいんじゃないかという考え方もある。
ミライ: どっちなんですか!!!!(怒
フツクロウ: ホッホッホウ。
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