普段とは調子の違う短い記事を載せる水曜日。今回は、現代社会で普段あまりに頻繁に言われているので当たり前のように聞き入れているけど、落ち着いて考えると「ちょっと待って!」ということについて考えてみます。水曜日の馬車目線[S馬]です。(今日は長いのですが)。
そういった「ちょっと待って!」にはパターンがいくつかあります。それらのパターンを日々の話題の中から抜き出してみようと思います。
今日紹介するパターンは「〜しないと日本は滅びる」です。「〜しないと○○は崩壊する」なんていうパターンもあるでしょう。
これらのフレーズは、新聞・雑誌・ネットあらゆるメディアで、読者を獲得するため息をするかのごとく頻繁に使われています。
しかしこれらの主張の対象が長年続いてきたシステムに対するものであった場合は、実は結果として有害な煽りになっているかもしれません。
該当しないのは次のような場合です。たとえばiPhoneのようなスマートフォンが台頭する前に「○○しなければ、日本のガラケーは滅亡する」といった主張がありました。これはまともな主張もあったことでしょう。「ガラケー」が普及したのはほんの一昔です。広がるのも早かったけど、衰退するのも早いかもしれません。MDやポケベルといった短命だった機器はいろいろあります。
こういった対象であれば「滅亡論」は有益な警鐘かもしれません。今であれば「○○しなければスマホは滅亡する」なんて主張もあることでしょう。
一方、長年続いたシステムは、事情が異なります。持続的なシステムです。長年続いたシステムは、長所短所あるでしょうが、あるバランスを保って長期に運営されているシステムです。
たとえば「今の教育はだめだ。〜しないと教育は崩壊する」と言うのはよく見るパターンです。しかし、今の教育は、ながーい期間そこそこうまくいっているということも忘れてはいけません。なんといっても世界の中でも極めて高い識字率を誇っています。私たちほとんど全員がだいたい同じシステムでその教育を受けています。日本は崩壊していますか?
そういった持続的なシステムを大きく変えるのはリスクを伴います。変えた時バランスを崩すかもしれないのです。
たとえば「ゆとり教育」。学習時間を3割も減らしたと聞いています。その分総合学習などが補うと考えられていたのかもしれませんが、はっきりと学力が低下してしまい、今慌ててより戻しています。ゆとり教育導入の背景にはなにか解決しなければならない問題があったのでしょうが、「失敗だ」と認識されてしまった今後は、ゆとりの手法がタブー化してしまうかもしれません。バランスを伴えば有効な手法だったかもしれないのに。
ですから、「〜しないと日本は滅びる」といったフレーズには相当気をつけなければいけません。「滅びる」というからには、それを防ぐ為にはよほど大きな転換を主張していることになります。でも本当にそんな大きな転換をしたら、大抵、うまくいきません。しかもまっさきに弱者にしわ寄せがいきます。
一人の天才をうむためにあるいは一つの「apple」社を生み出すために、弱者は切り捨てるべきという立ち場であれば、大転換論もさまになるでしょう。
しかし、全ての人がのびのびと暮らす社会を思い描くのであれば、大転換論や滅亡論は乱暴すぎます。
具体例を出しましょう。
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