上西議員の給付型奨学金に大反対のツイートが波紋を呼んでいるようです。

私は給付型奨学金については大反対です。幸せの前提がお金持ちだと言うのもどうかと思いますが、仮にそうだとしても大学行けばなんとかなるなんて甘い。稼ぐなら中学から働いたって稼げます。本当に勉強したいなら社会に出てからだってできます。親の見栄で無理やり学校に行かされる事がないように。

― 上西(うえにし)小百合 (@uenishi_sayuri) 2016年12月19日

 どこかには突っ込みたくなるツイートですが、それはともかく、最後の
親の見栄で無理やり学校に行かされる事がないように。
というところは、少し考えたくなりました。

 奨学金の問題は、ここでも再三取り上げていますが、投資効果の問題が顕在化していることにあります。つまり、奨学金という名の大学ローンで借金を作って大学を出ても、それに見合った賃金上昇効果が弱く、後で返せなくなる事例が増えているのです。

 これは実は自然なことです。教育の費用対効果は幼いほど高く、逆に大学なんて歳になってから大金かけて教育してもそれほど効果はあがりません。一部のエリートの話をしているわけではありません。

 ですから、これからは特に戦略もなく「なんとなく大学に進む」ために学生ローンを組むなんてご法度です。リスク高すぎです。専門学校など出口戦略のある進路を選ぶべきです。

 給付型にしても、税金ですから、きちんと優秀な人を選ばないと、税金の無駄遣いになってしまうことでしょう。

 という昨今の状況の中、「親の見栄で子供が無理やり学校に行かされる」不幸をどう防いでいくべきかを考えてみました。

 でもそもそも「親の見栄で子供が無理やり学校に行かされる」ってわかるもんなんでしょうか。

 親は本気で子供のために、子供は大学に行くべきと思いこんでたとしたら、それが見栄からなのかなんなのか区別は困難です。

 子供にしてもまだ18歳とかですから、親の考えにまだまだ強く影響されることでしょう。実際には親のいいなりなのに、自分の意思と勘違いだってしがちで、だからこそ、大学中退というのはよくある話で、いわゆるモラトリアムです。

 ちなみに私はそれが長くて「なんとなく博士課程」まで行ってしまった人間です。奨学金は無利子だったこともあり順調に返していますが、当時「有利子は絶対借りるな」と厳しく言いつけた親は真っ当で、とても感謝しています。

 つまり、「なんとなく進学」のために有利子借金するとかは絶対ダメ。今時だと無利子でも微妙。

 そういう借金はいけないけど、そうでないなら、「なんとなく進学」は社会として暖かく受け入れてほしいなと思います。その中の一部には「親の見栄で子供が無理やり」というものもあり、表面的には確かに避けたいところですが、それに気づいてその状況を打開するには、やっぱりモラトリアムな時間が必要ではないかと思います。

 ということで、給付型奨学金問題と「親の見栄で子供が無理やり学校に行かされる」問題は別ではないかと思います。30年前でも私の親が「有利子奨学金はだめ」と考えていましたし、それがこの低成長の社会では「無利子」でもかなりリスクが高い時代になったのだと思います。ですから、奨学金制度を設けるなら給付型を拡充しなければ意味がないのだと思います。

 一方で「親の見栄で子供が無理やり学校に行かされる」事態を減らすには、今の大学はただ行きさえすれば、そのあとは楽になるものではなくなったという認識を、社会全体で広く共有していくしかないのではないでしょうか。実は高校の先生の立場だととりあえず大学に送り込んでしまえば、自分たちの責任は回避できるというモラルハザードがあり、なかなか大学の現状を高校生徒とその親が知らずにいるという問題もあるようです。

 そのあたりは高校の先生に任せることなく、社会で警鐘を鳴らしていく必要があるのではないでしょうか。



《ワンポイントミライ》(

ミライ: 中の人、またこんなふわふわした話題で寄り道を・・・・。

フツクロウ: 寄り道?

ミライ: 年末は毎年年末企画やってるじゃないですか。

フツクロウ: ホウじゃな。