第1部
第1章
近代の大衆観光こそが観光
第1章
近代の大衆観光こそが観光
グローバリズムでフラット化した世界への既存左翼とは違う視点
ふわふわとして不必要性こそが観光客の限界であり、可能性でもある
「真面目」と「不真面目」の境界を越えたところに新たな知的言説を立ち上げる
すべての作品が二次創作をあらかじめ内面化している
すべての地域が観光客の視線をあらかじめ内面化してテーマパーク化している
他者の欲望を欲望することが全面化する社会に生きている
本質が非本質に本質的に依存してしまう
第2章
人間は人間が嫌いなのに、社会をつくる
公と私、全体主義と個人主義、政治と文学、真面目と不真面目を単純に切り分けようとするのが現代
世界は正しい→この苦しみにも意味がある
世界に正しさなどない→この苦しみに意味などない
→個人の信念にゆだねるしかない
観光は知識の拡張というより、想像力の拡張 世界には常に想像を超えた現実があるかもしれない
観光客とは小さな人類学者であるべきだ
カント 世界市民法=個人が国境を超えて自由に行き来できる権利=外国人との交際を試みる権利 が永遠平和の条件
ヘーゲル 特殊な意志(家族) 普遍的な意志(市民社会) 普遍的な意志を特殊な意志として内面化(国家)することでヒトは成熟し「人間」になる
シュミット 損益=経済、美醜=美学、善悪=道徳と区別された友敵関係=政治をもたない者は人間ではない
コジェーヴ 誇りもなく、他者の承認も求めず、個人の関心と消費社会に自足する動物 ナポレオン戦争で歴史は終わっていた
アーレント 顕名で公共のために活動する人間と匿名で自分のために労働・消費する動物
第3章
18世紀末~19世紀 ネーションが経済・文化・政治制度の基体となり、ナショナリズムが生まれた
現代は二層構造の時代 2つの秩序原理が同時に存在する時代 愛を確認せずに肉体関係を結んでしまったようなもの
グローバリズム=市民社会=経済=欲望 帝国=環境管理権力=匿名の群れ=統計データ
ナショナリズム=国家=政治=思考 国民国家=規律訓練権力=顔のある個人
リベラリズム 普遍的な正義
コミュニタリアニズム 共同体の善
リバタリアニズム 動物的な欲望 国家の民営化
マルチチュード グローバル資本主義を拒否するのではなく、利用する 生政治の自己組織化 ネットと愛を信じろ!
国境を超えたネットーワーク状のゲリラ的な連帯 私的な生を起点とする公共の政治
根源的民主主義 共産主義が死んだ後、抵抗運動の連帯は否定神学的に 連帯が存在しないことによって存在する
第4章
否定神学 存在しないがゆえに存在する 存在しないという事実が反転して生み出す
郵便 存在しえないものは端的に存在しないが、現実世界の様々な失敗の効果で存在してるかのように見えるし、その限りで存在しているかのような効果を及ぼす
観光客は「帝国」と国民国家の隙間に生まれたノイズであり、私的な欲望で公的な空間をひそかに変貌させる
観光客は連帯なしにコミュニケーションする 誤配によってつながる
クラスター係数が大きい 友達と友達が互いに友達=仲間関係がたくさんある
平均距離が小さい 70億人からランダムに選んだ個人と個人が六次の隔たり
大きなクラスター係数+小さな平均距離=スモールワールド性(世間は狭い) ネットワーク理論=新しい史的唯物論
スケールフリー 規模に関係なく同じように分布が偏る 人間社会の不平等性 新しい参加者はすでに多くから選択されている者を優先的に選ぶ
スモールワールド-国民国家-ナショナリズム-規律訓練-コミュニタリアニズム-ツリー
スケールフリー-「帝国」-グローバリズム-生権力-リバタリアニズム-リゾーム
「動物」を思想の外部に放逐し続けたヘーゲルのパラダイムは、交通や情報の技術が未発達でスモールワールドの秩序しか見えなかった時代の社会思想
原始的な共同体 格子グラフ
↓ 偶然の誤配 つなぎかえ
市民社会 スモールワールドグラフ
↓優先的選択 分布の偏り 不平等
資本主義・SNS スケールフリー
誤配をスケールフリーから奪い返す
「帝国」を外部から批判するのでもなく、内部から脱構築するのでもなく、誤配を演じなおす
誤配をスケールフリーから奪い返す
「帝国」を外部から批判するのでもなく、内部から脱構築するのでもなく、誤配を演じなおす
富と権力が一点に集中した現実は、最善の世界ではないことを常に思い起こさせる 再誤配の戦略=観光客の原理
ローティ 普遍的な理念・言語・論理ではなく、共感・憐れみ
たまたま目の前にいる人間に「苦しいですか?」と声をかける
憐れみが社会をつくり、そして社会が不平等をつくる
第2部
第5章
政治を動かすのは、お祭りではなく日常=アイデンティティ
自由主義-個人 全体主義-国家 共産主義-階級 観光客の哲学-家族
人は家族のために死ぬ 自由意志で入退出できない
死の可能性のないところに政治はない
家族の偶然性 散種の哲学 ひとはひとりで産まれてくることはできない
家族は性や生殖によらなくとも、偶然の情愛によって拡張できる
はじめから憐れみ=誤配が種を超えているからこそ、ひとは家族をつくれる
第6章
サイバースペースという誤った比喩が広まった
米国のハッカー文化と日本のオタク文化はポストモダンの時代に現れた新しい若者文化
サイバースペース独立宣言 サイバースペース=新大陸=フロンティア
カリフォルニア・イデオロギー=技術的楽観主義+起業家精神+ヒッピー文化+アメリカ的愛国主義
原始に抑圧された家族・贈与・アニミズムへの回帰→マルチチュードの連帯・シェアエコノミー・アニメやゲームの表現
サイバースペース概念と多重人格の症例は同時期に北米で現れ、全世界に広まった 主体の分裂を夢見る時代
不気味なもの=新生児=神の代弁者
ラカン 主体化の理論 両親や教師をまねる(想像的同一化) 彼らがなぜそのようなふるまいをするのかメカニズムを理解する(象徴的同一化)
サイバースペース概念はポストモダン社会において近代主義の残滓を受け取る機能をした
ポストモダン世界では、現象とそれを生みだす原理が同時に並び立つ 主体はそのふたつに同時に同一化する 主体の二重化
未来の政治は専門家の熟議と大衆の無意識を可視化したデータベースの組み合わせになるべき
一般意志2.0とは熟議と大衆の無意識をつなぐ中央の壁 ニコ生の構造からヒント
ニコ生のコメントは視聴者の空気を可視化したもの
出演者に同一化しようとすると、シニカルなコメントに冷や水を浴びせられる
仮想現実の虚構性を伝える情報と現実を仮構する情報とが同時に画面上にあらわれるニコ生
いまやイデオロギーがあった場所はコンピュータに占められ、コンピュータはかつてのイデオロギー以上にわれわれを支配している
第7章
ドストエフスキー 父殺しに失敗し虚勢され、去勢そのものに快楽を感じる倒錯を病んでいる
安っぽい幸福と高められた苦悩とでは、どっちを選ぶ?
屈辱と嫉妬の頂点で自己犠牲へと反転するマゾヒズム いつかユートピアが訪れるとしても「今のこの」苦しみは償われない
ユートピアの理想に隠された正しいことをすることへのエロティックな歓び、倒錯した快楽に、巻き込まれない権利
世界を変える理想主義者→理想主義を罵るマゾヒスト(自我しかない)→世界に無関心なサディスト(超自我しかない)
リベラル ユートピアの偽善 理想主義者
ナショナリズム 神のないところにネーションを人工的につくるマゾヒズムの快楽 理想主義を呪詛するテロリスト
グローバリズム ニヒリズム リバタリアンな起業家
観光客 子供たちに囲まれた不能の主体
ある子供が偶然生まれ、偶然死ぬ。そして新しい子供が偶然生まれ、必然の存在へ変わっていく。そうやって死が乗り越えられていく運動=家族
人間を孤独に閉じ込める「この」性の重力からはなれ、運命を子供たちに委ねる時、ニヒリズムは乗り越えられる
世界・他者に対して親が子に接するように接するべき
子として死ぬだけでなく、親として生きろ
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