白い箱にはチャコールグレイで葡萄の線画が描いてあるから、中にははきっと葡萄が入っているのかも知れない。それからちいさく、作り手からのメッセージが書いてある。
「今年もこの季節がやって参りました。1年間、愛と情熱を持って、ぶどうを育てて参りました。『内藤ぶどう』をこうして無事にお届けできることが一番の喜びです。ここから先は、ぶどうと話してみてください」
ぶどうと話す......。なんとも意味深な言葉だ。白いビニールテープをはさみで切って、ふたを開けた。
なかには3、4房のマスカットが、まだまだはちきれんばかりの新鮮さを保って、まるで息をひそめるように箱に収まっていた。揃っていない粒の大きさや枝の粗野さ。「育てた」というより、勝手に山に実っている方が似合う、そんな野生的なぶどうは、このまま樽に放り込んだらワインになりそうだ。
洗わずに、まずは1粒食べた。予想を遥かにしのぐ甘さ。濃厚な蜜のようだ。まいにち太陽をふんだんに浴びて、ときどき風雨を受けて、月や星の光を吸い込み、夜露と朝露をしたためて。季節の巡りを繰り返した結果が、このぶどうの甘さ。固い種もころころ入っていて、そんなこびないところも「いいぞ」と思ってしまう。
このぶどうを食べていると、昔旅したシルクロードの街々を思い出す。
朝もやが立ち込めるトルファンには、いたるところに葡萄棚があった。街中の葡萄のアーチをくぐると、そこにはベンチがあって地元の人がお茶を飲んでいた。らくだやロバがいる市場に行くと、いろんな種類のぶどうが山と積まれて売っており、隣には皺くちゃのレーズンが、自然の糖衣をまとってざるに並べてあった。そこで食べたぶどうも、すごくおいしかった。
「あ! これがぶどうと話す、ということかも知れない」
そんなふうに思いながら、岡山のシャインマスカットを皮のまま食べた。