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田辺の甘い記憶。甲斐みのり「コンフォート雑貨のある暮らし」

2015/05/28 23:30 投稿

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和歌山県田辺市・田辺商工会議所のOさんから「大変です! 近隣からの出火で鈴屋菓子店さんの工場が火災にあい全焼です」と連絡があったのは、3月5日夕方のこと。

鈴屋の看板娘・デラックスケーキ。包み紙や箱までも、品よく甘美。

和歌山県田辺市とは、田辺観光協会発行の観光パンフレット『暮らすように旅する田辺』を監修・執筆させてもらった縁で、観光協会、商工会議所、取材先の店や人と親しい間柄。何度も通い、第二の故郷のように感じている。さらにその縁をさかのぼれば、仕事で日本各地のお菓子を紹介する中、和歌山県田辺市に所在する「鈴屋 菓子店」の「デラックスケーキ」をたびたび取り上げるようになり、店主との交流がはじまったことで市の関係者ともつながりが生まれた。

監修・執筆:甲斐みのり、デザイン・イラスト:大神慶子、写真:吉次史成、発行:田辺観光協会『暮らすように旅する田辺』。入手のお問い合わせは、田辺観光協会(0739-26-9929)まで。

デラックスケーキがどのようにつくられているか取材も兼ねて、普段は公開されていない工場見学を2度させてもらった。鈴屋の創業は大正13年。工場はもう何十年も長く時を刻む昔ながらの建物で、土間や板間のある珍しいつくり。壁も、積み重なる菓子用の木箱も、甘い匂いをいっぱいに吸い込み、こっくり深い飴色をしていた。

鈴屋の旧お菓子工場の風景。デラックスケーキの他にも、さまざまな和洋菓子がつくられていました。

デラックスケーキの製造風景。どっしり重量感のあるカステラに、白いんげん豆を使ったジャムをはさみ、ホワイトチョコレートでコーティング。

火災の知らせにしばらく呆然としたけれど、工場は休みの日で内部に誰もおらず、従業員に怪我はないと聞いてほっと胸を撫で下ろす。店舗と工場は離れた場所にあり、火災のあとも店を開けて在庫を販売できたのも、せめてもの救いだった。同時にすぐさまOさんと連携をとり、鈴屋の日々の様子を伺いながら、今の自分たちになにができるか話し合った。

Oさんが有志を募り、みかん農家や、同業の菓子店、その他にも鈴屋と付き合いのある店や人が集まった。そうして皆で、工場の写真を集めた写真集と、ショップカードとしても機能するポストカードをつくり、届けようということに。

『甘い記憶』と題し、田辺の有志で作成した、世界でたった2冊だけの「鈴屋 菓子店」写真集。

写真集は、誰でも1冊から自分だけのフォトブックを作成できる「Photoback」というサービスを利用。ポストカードは、私がディレクションをおこない、『暮らすように旅する田辺』でイラストとデザインを担当したイラストレーター・大神慶子さん写真家・吉次史成さんとの共作で仕上げた。

「鈴屋 菓子店」旧工場の風景を詰め込んだ『甘い記憶』。

甲斐みのり監修「鈴屋 菓子店」ポストカード。3枚108円、ウェブショップで販売しています。下はデラックスケーキ型のマグネット。

先日、有志を代表する数名で完成した写真集とポストカードを抱え、鈴屋へと赴いたときの様子が写真と動画で送られてきた。鈴屋の店主はもちろん田辺に暮らす仲間たちが、皆いい顔をして、写真集をめくりながら語り合う光景。仲間のため、町のため、それぞれの想いが優しくにじみ、まぶしいほど。

「工場の中の写真はほとんど自分たちで撮っていなかったので、たった数か月前のことなのにたいへん懐かしく涙が出てきました」「不思議なことに後ろ向きな気持ちには一度もなりませんでした」。鈴屋の店主からの便りに、救われたり、励まされたのは、私の方だ。

鈴屋の現状が気になる方も多いだろう。運よくパン屋の工場・店舗跡を借りることができ、商品を限りながらもお菓子づくりを続けている。新工場建設のめどもたち、秋には完成予定とのこと。

新しい工場ができたら、また田辺へと旅に出よう。

写真/吉次史成・甲斐みのり

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