大人になるとめまぐるしく時間が過ぎてしまって、季節をしみじみ感じるよりも「いつもの繰り返し」と思いがちでした。そんな時、ふと目にしたのがこの俳句です。
月光のただ針がふる針がふる
(『現代の俳句』より引用)
冷えた空気の中で、月の光がまるで針のように鋭い光を帯びて降ってくる。そんな光景がありありと浮かんでくる句です。変わらず満ち欠けを繰り返す月を、ごく当たり前のものとしか感じ取っていなかった自分。でもこの17文字の中に、はっと眼が覚めるように鋭い当たり前じゃない月があったのです。ありきたりだと思っていた風景が、がらっと違うものに感じられた瞬間でした。
この句を作ったのは富沢赤黄男(とみざわかきお)。明治35年に愛媛県で生まれた俳人です。
夕焼けのやうな魚をさげてくる
かなしさはきみ黄昏のごとく去る
(『現代の俳句』より引用)
これらの句を読むと、ただの夕焼けや黄昏の風景が、すっと自分の生活に寄り添ってくるように感じられます。時間は生きていて、同じ時間は二度と巡ってこない。だから今をもっと十分に味わいつくそう。透明な五感をもって、今この瞬間を大切にしよう。そんな気持ちを、この赤黄男の俳句からもらえた気がしました。
稲光り わたしは透きとほらねばならぬ
(『現代の俳句』より引用)
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