子どもにとっては傷つくと同時に、そう言う大人たちが「かわいそう」という概念に振りまわされて見えることがあるかもしれません。
見えないものを怖がったって仕方ない
傷ついたり、迷ったりしながらも小さな幸せを糧に過ごすリアルな女性たちの日常を描いた映画『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』の原作でお馴染み、益田ミリさんの著書『ほしいものはなんですか?』の中に、大人たちから何度も「ひとりっ子でかわいそう」と言われる子どものこんなエピソードがありました。
かわいそうってなんなのかな
「かわいそう」が怖いのかな?
もし怖かったとしても 逃げられないよ
だって
「かわいそう」は目に見えないんだもん
「かわいそう」ってオバケみたいなものなのかな?
(『ほしいものはなんですか?』P8~9より抜粋)
そこで「オバケっている?」と尋ねると、親はこう答えるのです。
「いない、いない 見えないものを怖がったって仕方ないよ~」。
大人になると既存概念が邪魔して気づかないときがあるけれど、オバケも「かわいそう」という思い込みも、同じく目に見えないある種の恐怖心です。そして不安や後悔などの思いもきっと同じです。
どうせ逃げられないなら直視しよう見えないものを怖がったって仕方がない。そうわかっていても頭から心から離れない、「なんだか逃げられないな」と感じたとき、こんな言葉を思い出します。
恐怖は正面から直視せよ。そうすれば消えてしまうものだ。
(『あるヨギの自叙伝』P110より)
逃げられない感情であるなら逆に直視し「なぜ怖いの?」と原因がわかるまで、納得できるまで突き詰めてみるということです。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉もあるように、恐怖心とは正体となる原因がわかった瞬間に「なーんだ」と消えていくものかもしれません。
little girl via Shutterstock