近頃、頭で考えてばかりで、心で感じることがめっきり減った気がします。朝の雨の気配にも、「外に出るの、めんどくさいなぁ」とか「靴はどうしようか」と考えるばかり。幼い頃は、雨音を楽しんだり、雨を喜ぶように葉を広げる植物に目を向けることもあったような気がします。
知識ばかりになっていない?
そう思ったのは、レイチェル・カーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』を手に取ったのがきっかけです。
自然に目を向けることを忘れた大人たちへ海洋生物学者のとしての著書『われらをめぐる海』『海辺』や、農薬に使われる化学物質の危険性を説き「環境問題の母」と呼ばれるに至らしめた一作『沈黙の春』など、専門性が高く少し難しい印象のあるカーソンの作品たち。
しかし、美しくやさしい言葉で自然との向き合い方が描かれた『センス・オブ・ワンダー』は、都会でも自然の気配を強く感じるこの季節にぴったりの、感性を刺激される一冊でした。
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない(『センス・オブ・ワンダー』P.23より引用)
彼女は、こうも言っています。
いろいろなものの名前を覚えていくことの価値は、どれほど楽しみながら覚えるかによって、まったくちがってくるとわたしは考えています。
(『センス・オブ・ワンダー』P.47より抜粋)
そのものの名前を知ることはさして重要なことではなく、実際に出会い、五感で感じることが大切だと、カーソンは語りかけます。
「感じる」ことの大切さどの国の情報もパソコンの検索で知ることができるようになりましたが、実際にその場に行き目にした景色、聞いた音、感じたことにはかないません。そんな大げさことでなくても、例えば、毎日行き来する道から見える空や木々からも、さまざまなことを感じることはできるはずなのに......。
見ようと思えばほとんど毎晩見ることができるために、おそらくは一度も見ることがないのです。
(『センス・オブ・ワンダー』P.31より抜粋)
もしかしたら、あまりに情報が多すぎるために、わたしたちは感じる力を封じ込めてしまっているのかもしれません。しかし、この本を読み進むにつれ、自然と触れ合った記憶が次々と呼び起され、自分にも「感じる」力があったことを思い出すことができました。
まずは雨音に耳を澄ませよう以前住んでいた家への帰り道にあった桜の木は、つぼみが膨らむ時期になると、幹に蓄えられたとてつもないパワーが放たれつつあるのが感じられました。ちょっと疲れた時など、幹に触れてパワーを分けてもらったりして......人に見られたら、ちょっと怪しい行動なのですが、桜の木が生きていることを感じ取れた大切な記憶です。
カーソンがすべての子どもたちに授けてほしいと願った「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」。
その芽を育ててあげられるのは、わたしたち大人で、そのためには、わたしたちが失いかけていた感じる力を日々の中で少しずつ取り戻していかなきゃなぁと思います。
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』。梅雨の雨音を聴きながら、読んでほしい一冊です。
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