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【新連載】石井ゆかり「手のひらの言葉」vol.1 家族

2014/05/23 21:30 投稿

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石井ゆかりさんの新連載がスタート。
日常にあるなにげない「言葉」をひとつずつ手のひらにのせて眺めてみる......そんなエッセイを石井ゆかりさんにお願いしました。今回の言葉は「家族」です。

マイロハス編集部さんから「お題」を頂いて書くコラム企画、
記念すべき第一回のテーマは「家族」だった。

これは、なかなか難しい。
世の中には様々な「家族」がある。
同じ言葉で表現していいのかなと思うくらい、
そのナカミが違っている。
家族のために生きている人、
家族のために死ねる人もいれば、
家族を憎んでいる人、
家族のおかげで死にたくなっている人もいる。
以前、占いの文章の中に「家族」という言葉を使ったら、
「私には家族がいません」
「家族という言葉を使わないで頂けますでしょうか」
と言われたことがある。
確かに、家族のない人もいる。
それ以降
「身近な人や、家族や...」
という表現を使うようになった。

愛ある家族もあれば、
愛のない家族もいる。
ただ、家族に対して、
「優しさや愛を求めたことがない人」は、
ほとんどいないだろう。
赤ん坊は無償で世話をしてもらえなければ、
すぐ死んでしまう。
「無償で世話をする」のは
愛としか言いようがない。
だれだって生まれたばかりの状態では、
必死で家族の愛を求める。
そうして求めたのに、
愛を得られなかった人たちは、
いわば「裏切られた」ことになる。
自覚しているといないにかかわらず、
深く傷つくことになる。

最初から「ない」と思ったものなら、
実際、存在しなくても、
人は傷ついたりしない。
「あるだろう」と思ったものがなかったときだけ、
人は傷つく。
「家族」という言葉の持つ、
あたたかく守られるイメージは、
それに触れられなかった人を傷つけてしまうのだ。

多くの人が体験して知っているように、
「保険や車や住宅メーカーのCMに出てくるような
『絵に描いたような家族』」は
ほとんど、実在しない。
なのに、それを
「普通の家族ってこんな感じだ」
「家族ならこういうふうなはずだ」
と思うために、
「あるはずのものがない」と苦しんでいる人が、
少なくない。
「家族」という概念には、
そんなふうに、暴力的なところがある。

「あるだろう、と思ったのに、ない」
ことに傷つくのは、
愛されるはずの側ばかりではない。
「親は子どもを愛する」ことになっているのに、
子供へのあたたかな感情が胸に湧かなくて
悩み苦しむ人もいる。
もし、他人であったなら、
「この人を愛さなければならないのに、愛せない」
などと悩むことはないだろう。
でも。
「愛情らしい感情が感じられないのに、
それに耐えて無償で世話をする」ことは、
よく考えると、愛の行為でしかない。
自分と戦って、
「相手のため」に力を尽くしているのだ。
これが愛でなくて、なんだろう。

ある本の中に、
子どもが優しい母に向かって話すこんな台詞があった。
「母さんってみんなこんなに素敵なの?」。
残念ながら、そうではない。
「母さんだからやさしい」のではなく、
その女性がひとりの人間として、
賢く優しい人物だっただけだ。
その女性が、その子を愛していた、
というだけのことだ。
母さんだから素敵なんじゃなくて、
その人が素敵なのだ。
それは、とても素晴らしいことだ。
心の中がどうだろうと、責任持って世話をしたなら、
それもまた、立派なことだ。

母親を亡くして辛い
父が死んで立ち直れない
というメッセージをもらうことがよくある。
そういう人たちは「幸せな人々」だと思う。
もちろん、大切な人が亡くなったのは、
決定的に辛く悲しいことだ。
でも、「辛く悲しく思える」というのは、つまり、
その人が母や父に愛されていたということだ。
失って立ち直れないほどの愛がそこにあったのだ。
その人は彼等に愛されたのだ。
親だから当たり前に愛した、のではない。
1人の人間として、愛してくれたのだ。
それは間違いなく「幸福なこと」だろう。

ためしに自分のブログを
「家族」というキーワードで検索したら、
東日本大震災直後の日記が幾つもヒットした。
災害、事故、なにかのトラブルの時、
「家族」が登場する。
「家族」というのは、おそらく、
その外側の世界と戦わなければならないときに、
もっとも境界線がクリアになるのかもしれない。
外の世界があるからこそ、
家族であり得る。
家族以外の人々と戦わなければならない時に、
突然、家族が無限の意味と力を持つ。

自分以外のものを自分自身と同じように思い、
必要ならば世話をし、一緒に生きていく。
こんなに大変なことはない。
「誰でも自然にできる」ことではない。
でも、私たちは
「家族」の運営の仕方やその意義について、
学校で習ったりすることはない。
なのに、「家族」という言葉のイメージの中に
「あるべきだ」と思われるものが見つからないと、
私たちは簡単に傷ついてしまう。

「家族」は、本当はすごく難しい、
複雑なものなんだと思う。
そこに「あるはず」と思われているものは、
決して、デフォルトにあるわけではない。
あるはず、と思われているものがそこに見つかるのは
「家族だからあたりまえ」ではない。

私は子どもの頃、
2つの「大家族」で育った。
でも、今では両方とも、存在しない。
泡のように消えてしまった。
何人もの家族が死に、
あるいはちりぢりになって、
あのユニットは跡形もない。
「家族」はいつもそこにあるようでいて、
実は「一瞬のできごと」なんだと、よく思う。

(文・石井ゆかり、イラスト・山本祐布子)

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