そこで取り入れたいのが、月曜の朝5分だけで心と頭を再起動する「月曜瞑想」。『心と頭が軽くなる 週はじめの新習慣 月曜瞑想』(アスコム)から、マインドフルネスと「月曜瞑想」の違いや、従来の瞑想と大きく違うその方法についてご紹介します。
マインドフルネスの「クールさ」がハードルに
著者の臨済宗建仁寺派 両足院副住職・伊藤東凌さん著者の伊藤東凌さんは、京都にある臨済宗建仁寺派のお寺「両足院」の副住職。15年にわたり両足院での坐禅指導を担当する傍ら、アメリカのFacebook本社で禅セミナーを開催したり、禅と現代アートを融合させた「是是プロジェクト」を主宰したりと、禅と瞑想を世の中に広める活動をおこなっています。
伊藤さんが「月曜瞑想」を考案したのは、昨今のマインドフルネスブームがひとつのきっかけ。瞑想の習慣がビジネスパーソンに広がったことをうれしく思う一方で、気になっていることがあったと述べています。
マインドフルネスとしての瞑想は、「かっこいい」「クール」「知的」といった印象が先走りして、少し敷居を高くしてしまっているように感じています。違った壁を築いてしまったのではないかなという気もしていました。
(『心と頭が軽くなる 週はじめの新習慣 月曜瞑想』25ページより引用)
瞑想の効果も、「最高のパフォーマンスを発揮する」など少々高尚に紹介されることが多かったと伊藤さん。イメージが先行してハードルが高くなってしまったけれど、瞑想は本来、乱れた心の平穏や、自分の感覚を取り戻すためのもの。もっと単純で、誰もが気軽にでき、子どもから大人まで習慣化できるものであってほしい──。そんな伊藤さんの思いから生まれたのが、瞑想を究極にカジュアル化した「月曜瞑想」だったのです。
「月曜瞑想」の基本のやり方
伊藤さんが両足院でおこなう坐禅体験のシーン。お堂での座禅にも挑戦してみたいが、「月曜瞑想」は壁にもたれ、足を前に投げ出し、自宅で気軽にできるのがいいところ。「月曜瞑想」が一般的な瞑想と大きく違うのは、とにかく「ラク」で「自由」なこと。その差が顕著に表れるのが姿勢で、ピンと背筋を伸ばしたり、あぐらをかいたりする必要はありません。壁にもたれてペタッと床に座り、足はだらんと前に投げ出す。これが「月曜瞑想」の基本姿勢です。
瞑想を始める前に、まずは事前準備として、テレビやラジオ、スマホの電源はオフに。部屋のカーテンや窓を開け、朝の光を取り込みます。
部屋の環境が整ったら、瞑想を始めましょう。瞑想は、以下の手順で行います。
(1)座る
(2)手首をぶらぶらする
(3)手を合わせて目を閉じる
(4)手を合わせたまま、呼吸に意識を向ける
(5)呼吸に合わせて、数を1~10まで数える(『心と頭が軽くなる 週はじめの新習慣 月曜瞑想』34ページより引用)
手順(5)で数を数えるときは、「ひとーつ、ふたーつ」と大和言葉でゆっくりと。「とう」まで数え終えたら、「月曜瞑想」は終了。時間にして5分くらいの行程です。
週一回の心の再起動で得られる「最高の状態」とは
京都市東区にある臨済宗建仁寺派 両足院。一般向けの坐禅体験では、この空間で「ゆるめる、ほどく、手放す」という坐禅のエッセンスを紹介している。「10まで」というと簡単なようですが、実は初めて瞑想する人が、「とう」まで途切れずに数えるのは簡単ではないとのこと。頭の中にいろいろなことが浮かんできて、数えることを忘れてしまうのです。
ところが、しばらく「月曜瞑想」を続けていると、頭に浮かんでくることに支配されなくなるのだとか。荒れた海(=心)を浜辺から眺めるように、頭の中を客観視できるようになるからです。
頭に浮かんできたことにいちいち反応するのは、ちょっとした海の変化にもジタバタしているようなもの。そんなことをしていると、心も体も疲れてしまいます。
海が荒れても、何もしない。究極は、浜辺に座ってその様子を眺める。これが、「月曜瞑想」の最終の目標。
週一回の心の再起動の繰り返しで得られる、最高の心の状態です。
(『心と頭が軽くなる 週はじめの新習慣 月曜瞑想』43ページより引用)
今まで瞑想というと「頭と心を空っぽにする」というイメージがあり、それが難しいと感じていました。しかし伊藤さんによると、瞑想とは頭の中を空っぽにするのではなく、自分の感覚で受け取る情報を一つひとつ丁寧に体験すること。忙しい毎日のなかで鈍っている感覚を開いていくことで、いつしか心を穏やかに眺められるようになると語っています。
瞑想なんて敷居が高いと感じていた人も、本書を読めば「私にもできそう」と前向きになれるはず。まずは自分の感覚を大切に、体や呼吸を感じることから始めてみよう──と思わせてくれました。
心と頭が軽くなる 週はじめの新習慣 月曜瞑想 1,430 Amazonで見る 1,430 楽天で見る写真提供/伊藤東凌、アスコム