新型コロナウイルスが猛威を振るうなかで、脳科学者の中野信子さんが「今後さらに増えるかもしれない」と危惧する現象があります。それは、「自分は絶対に正しい」、「他人の言動が許せない」という感情が引き起こす、激しいバッシングやハラスメントです。

相手の過失に強い怒りを感じ、日ごろは使わないような激しい言葉で罵り、完膚なきまでに叩きのめさずにはいられない――。これは「正義中毒」というべき一種の依存症状で、自分が属する集団を守ろうとする脳の仕組みが関係していると中野さんは話します。

どうすれば「許せない」自分を理解し、人を許せるようになるのか。今こそ知っておきたい「正義中毒」の構造とその回避策を、中野さんが最新の脳科学から解き明かしてくれました。

人を駆り立てる「正義中毒」 「正義中毒」を増幅させたSNS 新型コロナウイルスと「正義中毒」 女性のほうが「同調圧力」を感じやすい

人を駆り立てる「正義中毒」

2020年1月に刊行した『人は、なぜ他人を許せないのか?』(アスコム)で、「許せない」という感情が暴走する脳の状態に注目した中野さん。

人間は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っていると話します。

中野さん :

いつも他人の言動にイライラし、「許せない」という強い怒りを感じながら生きる生活は、けっして幸せなものではありません。

それなのに「自分は絶対に正しい」「あいつは叩かれて当然だ」と思ったが最後、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に攻撃的な言葉を浴びせてしまう。いわゆる炎上不謹慎狩りは、その典型的な例だといえます。

ときには相手を社会的に抹殺するまで続く残酷な行為ですが、そうなっても正義を遂行した側というのは、自分が悪かったとは思わない。正しいことをしたとずっと思い続けるんです。

じつは人間の脳は、他人に「正義の制裁」をくだすことに悦びを感じるようにできていると中野さん。

中野さん :

正義は我にあり、過ちを犯した相手には何をしても許される。そんな心理状態から実行に移される行動を、社会心理学の人たちは「サンクション(制裁)」と呼んでいます。

人は、本来は自分の所属している集団以外を受け入れられず、攻撃するようにできています。そのために重要な役割を果たしている神経伝達物質のひとつがドーパミンです。私たちが「正義中毒」になるとき、脳内ではドーパミンが分泌されています。ドーパミンは快楽や意欲などを司っていて、脳を興奮させます。

自分たちの集団や価値観を守るため、正義をおびやかす「悪人」を叩くという行為によって、快感が生まれるようになっているのです。

ドーパミンがもたらす中毒症状としては、アルコールやギャンブル依存症があります。「正義中毒」の認知構造は、これらの依存症とほとんど同じ。一度ハマると簡単に抜け出せなくなり、罰する対象を常に探し求めるようになってしまうのです。

「正義中毒」を増幅させたSNS

「正義中毒」は、中野さんがずっと書きたかったテーマのひとつ。きっかけはインターネットが普及した2000年代前半から、「祭り」と称してネット上で他人を吊し上げる行為が盛んになったことでした。

中野さん :

インターネット空間が出現してから、匿名の個人が見知らぬ他人を攻撃しやすくなったというのは、非常に新しい動きだと感じました。その後のTwitterやFacebookを始めとするSNSの普及は、隠されていた「正義中毒」を見える化し、さらに増幅させたと考えています。

考えてみると、この「祭り」という現象は、古代から連綿と続く祝祭の構造と近いのではないかと。攻撃の対象となる人は、生け贄なんです。その人を攻撃すると、集団の一体感が高まる。集団を守るための社会通念や、共通の認識というのも固まっていきます。

新型コロナウイルスと「正義中毒」

中野さんによると、生け贄となる人の基準は、国や地域によって大きく異なるとのこと。日本の場合、とくに犠牲者になりやすいのは「集団のルール(和)」を乱した人です。

中野さん :

なぜこうしたことが起きるのか、それは「絆」を強めるためです。ひとりひとりの行動を集団としてコントロールすることは、日本のような災害の多い国では重要なことでした。協働して困難を乗り切る戦略が必要で、個人よりも集団の意思決定を尊重することが求められてきたという背景があります。

自分の意思を抑えて集団の存続に協力しているからこそ、「好き勝手」に生きる人が許せない。そこから生まれる「正義中毒」は、個人のルサンチマンに起因するとともに、集団を守ろうとする脳の働きでもあります。

誰かを叩くのは「世のため人のため」。とても強力な理論武装ができてしまうからこそ、「叩く」という行動が止まらなくなると中野さん。

中野さん :

「正義中毒」は、東日本大震災後のような危機的な状況になればなるほど、盛り上がりやすい素地ができていくことになります。

現在は新型コロナウイルスの蔓延と同時に、世界恐慌というべき側面になってきていますが、「正義中毒」の現象がさらに強く起きてくると思います。

女性のほうが「同調圧力」を感じやすい

ダイバーシティ(多様性)を尊重する近年の動きにより、日本社会は昔とくらべて、より個人主義的になり、仮に集団から孤立しても許容されるようになってきました。それは戦後の復興を経て日本社会が成熟し、社会的インフラや衣食住が整ってきた証でもあります。

しかし、人口の減少や格差の拡大に加え、新型コロナウイルスにより社会が激変するであろう今後の日本では、「再び集団重視の風潮が高まる可能性は高い」と中野さんは指摘します。

中野さん :

「みんなに合わせる」ための重要な機能、特に非言語コミュニケーション――場の空気を読むのに使われる領域は、左の側頭葉の一部である上側頭溝(じょうそくとうこう)というところです。これは、言語を司る左側の上側頭回(じょうそくとうかい)という場所のすぐ下にあたります。

ここは男性と女性で性差があり、女性の方が統計的な有意差のあるレベルで発達しています。つまり、女性の方が空気を読みすぎて、身動きがとれなくなりがち、とも考えられます。

女性の上側頭溝が発達した要因は、子育てにあるのではないかと考えられているそう。顔色や泣き声など、乳児の非言語コミュニケーションを理解するためには、「空気を読む」能力が不可欠だからです。

男性と女性では、「正義中毒」のあらわれ方にも違いがあるのでしょうか。中野さんによると、一概には定義できないけれども、いくつかの研究例があるとのこと。

中野さん :

いわゆる「人が引きずり降ろされたときの喜び」というのは、女性よりも男性の方が強く感じるという研究結果があります。また男性は女性よりもオキシトシンの分泌量が少ないので、「抜け駆け」をして得する人に、とくに激しい攻撃を加えるだろうということは予測できますね。

女性の場合はもともとの筋力の弱さや体の脆弱性から、相手に直接攻撃するというよりは、「その人が損をするように仕向ける」という攻撃が多くなると想定できます。

男性と女性の脳の違いから考えると、集団の空気を読むことの合理性を理解し、そのためなら嘘をつけるという器用さが女性にはあるといえます。

ママ友同士だと正直な意見を言いにくかったり、女性のグループが何にでも「かわいい!」と反射的に肯定的な反応をしたりすることも、その一環かもしれないと中野さん。

中野さん :

ただ、その能力の高さによって、自分自身に対するネガティブなメッセージを受容しやすくもなります。集団への同調圧力や生きづらさは、男性よりも女性に降りかかってしまいがちな苦労だと言えるかもしれません。

脳科学者の中野信子さんが紐解く、「正義中毒」を生み出す脳の仕組み。後編では「正義中毒」の身近な例である不倫スキャンダルの構造や、「正義中毒」を防ぐ脳のトレーニング方法を教えていただきます。

人は、なぜ他人を許せないのか?

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『人は、なぜ他人を許せないのか?』(アスコム)
炎上、不謹慎狩り、不倫叩き、ハラスメント……。世の中に渦巻く「許せない」という感情の暴走は、なぜ生まれるのか? 脳科学者の中野信子さんが、最新の脳科学の視点から「正義中毒」という快楽を分析。「人を許せないことが苦しい」人に、自分と異なる人と理解しあい、心穏やかに生きるヒントをくれる一冊です。

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中野信子(なかの・のぶこ)さん
脳科学者、医学博士、認知科学者。脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行う。科学の視点から人間社会で起こりうる現象及び人物を読み解く語り口に定評がある。現在、東日本国際大学教授。著書に『脳はなんで気持ちいいことをやめられないの?』(アスコム)、『サイコパス』『不倫』(文藝春秋)、『シャーデンフロイデ』(幻冬舎)、『キレる!』(小学館)など多数。また、テレビコメンテーターとしても活躍中。

撮影/キム・アルム、取材・文/田邉愛理、企画・構成/寺田佳織(マイロハス編集部)、image via shutterstock

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