人間関係は壊れ、真実が知られないまま彼女は仕事を辞めざるを得なくなり......。それを聞いて人生にはこんな理不尽なこともあるのかと怒りを覚えました。
心の声を聴き、自分の意見を持つ当然悪いのは、嘘を広めた加害者です。きっとその人物も何か大変深刻な問題を抱えているのでしょうが、そんな人間の言うことを真に受けて、相手にしてしまった人にも非があります。後に「騙された」と気づいた彼女の友達も深く傷つき、人間不信になってしまったそうです。
集団心理学のリサーチによると、人が嘘を広める理由にはいくつかあるようですが、グループの中に不安要素があることが一番の大きな原因。不確かな事や情報に関して各々の不安な気持ちを共有・情報交換し、互いになだめようとするだけでなく、集団生活を簡単にする役割を持つのだそうです。
更にグループ内でのセルフ・イメージや自分のステイタスを上げる役割をしたり、また自分よりも優れたものを何とか引きずり下ろしたいという、人間の性も関係するのだそう。企業文化として上司が人の噂ばかりすれば、それに皆が追随するような土壌ができあがり、士気もあがらず、心がバラバラになってしまいます。働く環境も人間関係も、すこしずついろんな要素が複雑に絡みあい、汚染されてしまうのでしょう。
コンプレックスや思い込みはすべて「臭い目」ハワイには、古くから伝わる言葉「臭い目」というものがあります。「よどんだこころの眼」とか「不信感を宿した目」、また「うがった見方」とも言えるでしょうか。人に対して疑念があったり、あるいは自分の中の偏った価値観やこだわりからおこってしまう、一方的な「決めつけ」。その「決めつけ」という名のレンズが私たちの意識をくもらせ「見極める目」から遠ざけてしまい、他人との距離に悩んでいるときほど私たちの目はますます臭くなってしまうのです。
先の例でいえば、嘘を真に受けた人たちはもしかしたら「臭い目」を持っていたのかもしれません。嘘を大変上手につく人間はどこにでもいますから、やはりここで一番重要なのは、私たちが客観的に物事を見るクセをつけ、そして常に公平な心構えをもつこと。こういった自己の「臭い目」と対峙するプロセスを日頃から行うことが必要なのです。
ある新聞記事の中でダライ・ラマは、フェアであること、透明性があること、そして信頼性があるこの3つを「公平な社会」の3本柱であると言いました。職場は小さな社会でもありますので、同じことが言えるのではないでしょうか。何か問題があったら、まずはみなが同じ情報やゴールを共有できているかを確認する。それらが欠けていたなら信頼感が生まれず、透明性は存在しません。
経営に不満があるのならばそれを意見できるような信頼ある雰囲気や努力したものが公平に認められる人事と、モチベーションのあがる制度が大切。そしてすべてを理想で終わらせずに実際に行動に起こしたり、何か大きな困難が起きた時、手を差し伸べて助けてくれるようなリーダーが必要なのは言うまでもありません。
image via Shutterstock