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日本初。マインドフルネスの国際的なイベントが鎌倉 建長寺で開催 【後編】未来の不安に負けず自分らしく「寛ぐ」には?

2017/09/23 06:00 投稿

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こんにちは、インド好きの翻訳者&エディターの松本恭です。前回に引き続き、日本ではじめて開催されたマインドフルネスの国際的なイベント「Zen2.0」 についてご紹介します。後半では、坐禅という枠を超えて新しい仏教を提案する藤田一照さんと、テクノロジーと私たちの進化についてエキサイティングな未来予測をする湯川鶴章さんをご紹介します。 坐禅は不安定な時代を生き抜くために役立つ身心の調え方
藤田一照さん「帰家穏坐としての坐禅」(家に帰って穏やかに坐る)

東京大学で心理学を学んだ藤田一照さんは、大学院時代に鎌倉の円覚寺で坐禅に出会い、深い体験を味わったことがきっかけで坐禅に引き込まれます。そこから禅の道に入り、とうとう28歳で大学の博士課程を中退し禅道場に入門。33歳からアメリカに渡り、17年半にわたりマサチューセッツ州のヴァレー禅堂で坐禅の指導を行います。その後日本に帰国して葉山に道場を構え、現在は日米を行き来しながら禅や仏教、そしてマインドフルネスなどをテーマに広く活動しています。

藤田さんが指導する坐禅会では、坐る前にボディワークを行って体をほぐすそうです。今回も、まずは体をリラックスさせよう、という提案から始まりました。

Zen2.0(撮影:吉田貴洋)

 

「皆さん、Pandiculation(パンディキュレーション)という言葉を聞いたことがありますか?」

そう言って、ライオン、猫、ゴリラ、カバ、そして赤ちゃんや大人の男性など、さまざまな人や動物の写真を見せます。皆、気持ちよさそうに思いっきり伸びをして、大きくあくびしています。藤田さんは、Pandiculationを「全身あくび」と訳します。講演の前に、まずは全員でPandiculationしようということになりました。

Let's do it!

・好きなように体を動かして伸びをする
・両手を伸ばし、背筋を伸ばす
・立ち上がりたくなったら立ち上がる
・決まった型はないので、体が「伸びたい」方向に向けて自由に体を動かす
・あくびが出てきたら、顔の緊張を緩めて思いっきりあくびする

大切なことは、思いっきり伸びをして筋肉を緊張させたあと、深いところから脱力することだそうです。ポイントは余計な力を抜くこと。歯を食いしばっていたり、目に力が入っていたりしないか、注意深く観察して、力を抜いていきます。実は坐禅においても、この「力を抜く」ということが極めて重要になってきます

Zen2.0(撮影:吉田貴洋)

藤田さんは、坐禅とは、ちょうど書道家が、筆を置く一瞬前のドキドキする創造の瞬間、次に何が起こるか分からない状態を刻一刻維持しているような感覚だと語ります。次の瞬間に何が起きるかまったく分からない未知と向かい合っているような感覚をじっと注意深く見守るようなものなのだそうです。

この感覚を、イギリスの詩人ジョン・キーツが不確実なものや未解決のものを受け入れる能力として表現した「negative capability(ネガティブ・ケイパビリティ)」という言葉を用いて説明しました。そして、その際必要になる姿勢が、「Not prepare for anything, but be ready for everything.(何に関しても構えないが、すべてに準備せよ)」だといいます。

このことを、趣味であるスラックライン(綱渡り)の極意にたとえてわかりやすく説明してくれました。スラックラインの世界チャンピオンが藤田さんに教えてくれた秘訣は、「落ちそうになったら、もっと力を抜け」でした。バランスを崩して綱から落ちそうになると、つい緊張してしまいますが、そうなると体の可動性が下がり、逆効果なのだそうです。逆にうまく体の力を抜くことができれば、ラインのサポートを受け取って体勢を立て直しやすいのです。

今の時代は不安定で変化が激しく、不確実で複雑です。国際情勢も不安なことばかり。でも私たちは毎日怯えて生きていなければならないわけではありません。先が見えない存在不安というのは今に始まったことではなく、人間の根本的条件で、仏教は始めからそれを問題にしてきました。藤田さんは、「仏教の大前提を一言で言うと、一寸先は闇」だといいます。

この不安定さの中でうまくバランスを取りながら、力むことなく柔らかに寛ぐ能力が求められています。それを助けてくれる身心の調え方が坐禅や瞑想であり、これからの時代、このスキルはあらゆる人に必要になるだろうと藤田さんは言います。とくに坐禅は、「寛ぐ」感覚をより洗練させるための稽古であり、体と息と心を調えることで、自分だけではなく周りにもよい影響を与えることができる人間になることを目指す道だといいます。ここにも、キーワードである「つながり」が出てきました。

Zen2.0(撮影:吉田貴洋)

最後に、坐ったままできる体のリフレッシュ法を2つ行いました。この種のエクササイズは、力を使うのではなく時間を使ってゆっくり行うのがポイントで、「一生懸命」ではなく「丁寧」がキーワードだそうです。

Let's do it!

・息を吸いながら肩甲骨を持ち上げる
 ぎりぎりまで上がったら、そこでストップする
 すとんと肩を落とす
 落とした後の感覚を味わう

・息を吸いながら肩甲骨を持ち上げる
 ぎりぎりまで上がったら、肩を後ろに引き、肩甲骨どうしを寄せる
 すとんと肩を落とす
 落とした後の感覚を味わう

・息を吸いながら肩甲骨を持ち上げる
 ぎりぎりまで上がったら、肩甲骨の距離を広めるように肩を前に寄せる
 すとんと肩を落とす
 落とした後の感覚を味わう

・途中であくびしたくなったら、自由にする

Let's do it!

椅子に坐って両足をしっかり床の上に置き、グラウンディングする

頭の部分にパラボラアンテナをイメージする

首をゆるめてゆっくり前に落とす(意図的に「曲げる」のではない)

ぶら下がった感覚を失わないように、なるべく最小の力で左側に首を転がす
 少し上半身を傾けながら動かすとやりやすい
 首の力を使うのではなく、頭の重さでゆっくりと転がしていく

後ろに頭をぶら下げて、その感覚を味わってみる
 歯を食いしばると首を緩めることができないし、眉間や目の周りに緊張があるとぶら下がっている感覚がつかみにくい
 緊張をゆるめ、ぽかーんとした顔になればOK

ゆっくり頭を右に転がして、最初の場所まで戻る
(右側も行う)

もとの場所に戻ったら、種から芽が出るイメージでゆっくり首を持ち上げ、最後に頭を乗せる

デジタルの時代だからこそ、リアルな場を共有する価値が高まる
湯川鶴章さん「人工知能と悟りの関係」

米国時事通信の記者としてシリコンバレーの黎明期からアメリカのIT業界の動向に精通した湯川鶴章さん。通算20年の米国生活を経て、オンラインメディアTechWaveを立ち上げ、2013年に編集長を降りて現在は作家、IT評論家として活躍しています。

Zen2.0(撮影:松波佐知子)

IT関連のメディアに携わっていた私は、湯川さんがレポートする最先端のIT業界記事を20年以上読んでおり、Zen2.0のコンセプトとテクノロジーをどのように関連づけるのかとても興味がありました。今回の講演のテーマは人工知能。ディープラーニングという単語が日常のニュースにも出てくるようになった昨今ですが、マインドフルネスや禅と人工知能がどのように結びつくのでしょうか。

講演の前半は人工知能についてでした。人工知能で具体的に何ができるのかということについて、「大人の脳」と「子どもの脳」というたとえで説明しました。「大人の脳」とは過去の事例から学ぶ能力、そして「子どもの脳」とは、たとえばディープラーニングのように、あらかじめ十分なデータを用意することで、正しい答えを自分で見つけていくことができる能力です。これにより、より正確な予測が可能になります。

人工知能の発達により、過去に関しても未来に関しても、人間よりもコンピューターのほうが合理的に答えを出す時代がまもなくやってくるといいます。かつては記憶力のいい人が「頭のいい人」と言われましたが、スマートフォンで何でも検索できるようになった今、暗記力は重視されなくなりました。今は合理的判断が得意な人が「頭がいい」と言われますが、間もなくディープラーニングにとって変わられるでしょう。

過去の分析も、未来の予測も、コンピューターのほうが得意になってくる時代に、私たちは何をすればいいのか。湯川さんは「いま、ここ」に集中すればいいのだと言います。今の瞬間に集中するというのは、まさにマインドフルネスのテーマです。人工知能の発達は、私たちが「いま、ここ」に集中し、精神性を高めることに役立つのです

起業家のイーロン・マスクのように、発達した人工知能はやがて意思を持ち、人類の存在を脅かすと危惧する人もいますが、この点について湯川さんは極めて楽観的です。ここで、「意思」とはいったい何かということについて、参加者から問いかけがありました。湯川さんの意見では、人工知能がさまざまなアルゴリズム(計算方法)で実装されるものであるかぎり、私たちの感情やスピリット(魂)を計算式として表現することはできないだろうと言います。

さらには、今後人類の進化は二つに大きく分かれていくだろうと予測します。ひとつは身体性を重視し、五感、そして五感を超えた感覚をより研ぎ澄ましていく人たち。もうひとつがデジタルに頼り感覚が鈍っていく人たち。感覚が鈍化すれば、仮想現実と現実との違いがわからなくなっていくだろうとも言います。興味深かったのは、どれほどデジタルが進化して、リアリティのある画像や音声を再生できるようになっても、本当に感性が高まった人たちは、決してそれでは満足できないだろうという予測です。

Zen2.0(撮影:吉田貴洋)

「建長寺に足を運び、この気の素晴らしさ、気持ちのよさを味わう。これを美しい映像と音声で完璧に再生したとしても感動はないでしょう。ここにいて、この空気感を味わうということは、絶対バーチャルリアリティではできないことです。」

デジタルが進化したからこそ、リアルな場を共有することの価値が高まっていると痛感する今、この言葉は非常に心に響きました。さらに、感性が研ぎ澄まされていく人たちにとって、非言語も含んだコミュニケーションがより重要になってくるだろうと語ります。それは、言語を超えた互いの存在そのものの交流(=つながり)が生まれてくるということを意味すると思います。言語を超えたレベルでお互いの存在を感じることは、とても心地よく、幸せな感覚なのだと言います。これは前篇のマーフィー先生のワークにも重なります。言葉を超えて相手の存在を感じたとき、とても「嬉しい」と感じたのです。

最後の質疑応答の、「なぜ、『いま、ここ』に集中することが人類の進化なのか」という質問に対する答えが印象的でした。これからの時代には、瞑想を通じて「空」を体験する中で、人工知能にはできないクリエイティブをいかに作り出すことができるか問われるのだと思います。

「なぜかというと、気持ちがいいから。過去を思い出すと余計なことを思い出すし、未来を心配するのは時間の無駄だと思う。だからこの瞬間、心地よい建長寺の空間を楽しみたい。坐禅や瞑想をする人なら分かると思いますが、空の状態、『いま、ここ』の状態になると幸福感に包まれます。これは非常に気持ちいいし、何にも代えがたい幸せ。実際に体験しないと分からないかもしれませんが、トレーニングすることで誰でも開発されていくと思います。」

まとめ

Zen2.0(撮影:吉田貴洋)

数年前から「鎌倉が盛り上がっている」という話が耳に入るようになっており、Zen2.0に関わっている人たちとの出会いが増えるなど期待が高まっていました。そんな中、夏の終わりの週末についに開催されたこのイベント。おそらく参加者の誰もが、新しい変化の始まりに立ち会っていると実感したはずです。実現までに、多くのボランティア スタッフが費やしたエネルギーと気持ちが伝わってくる温かいフォーラムでした。会場である建長寺の、そこにいるだけで至福感が溢れてくる心地よさが忘れられません。

>>日本初。マインドフルネスの国際的なイベントが鎌倉 建長寺で開催【前編】はこちら

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