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心を穏やかにするものではない【後編】 #マインドフルネス

2016/11/06 13:00 投稿

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なにかをしようとする。なにかをどうにかしようとする。そうなると、思考の罠にかかって、永遠にそこから出ることができません。とにかく、なにかをしたいのが思考だからです。

つねに、なぜこれが起きたんだろうと分析したり、どうすればここから一歩進んだところにいけるだろうかと考えたり、あのいつも落ち着いているひとは、どうしてあんなふうにいられるのだろうかと比較したり、とにかく忙しく働いています。思考の根っこにあるのは欠乏しているという考えですから、思考から抜け出さない限りはずっと苦しいわけです。

マインドフルネスの練習では、そういった思考の働きも含め、自分に起きることをただ体験します。それを消そうとかコントロールしようとか、そういう思考の喜ぶことはしません。思考から離れて自分に起きることをただ体験するために、体の感覚を利用します。というか、せっかく体があるのですから、きちんと「体」験すればいいわけです。

そして、思考の弱点のひとつには、過去と未来にしか存在できないということがあります。過去の記憶をもとに、なにかを恐れたり、未来のことを考えて不安になったり......。いっぽう、体の感覚は今この瞬間の現実です。

たとえば、今スマホでこれを読んでいたとしたら、そのスマホを持つ手の感覚を感じることができるでしょう。でも、昨日の手のひらの感覚は感じることはできないですよね。思い出すことはできるかもしれません(思い出す=思考です)が、感じることは不可能です。

つまり、体感覚として物事を体験するとき、必然的に今この瞬間にいることになるわけです。そうすると、自動的に思考から離れざるをえなくなるというわけです。思考が持っている欠乏感という根っこをどうこうしなくても、それに影響されないところに気づいたらいた。そんな感じでしょうか。

なにかをどうにかしよう。そう思っている限りは結局のところ、苦しいところにい続けることになります。今苦しさを感じているのだとしたら、それをどうこうしようとするのではなくて、ただ体験する。マインドフルネスの練習はとっても地味なんです。

今日の1枚:

冬が近づき、美しい夕焼けの日が頻繁にあります。なにか美しいものを見たとき、ぞくぞくするような感じがすることはありませんか? そのぞくぞく、をただ感じてみます。感情を体で感じる練習です。

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