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心を穏やかにするものではない【前編】 #マインドフルネス

2016/11/05 13:00 投稿

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「心をととのえる」。

マインドフルネスやヨガ、瞑想などが一般的になり、こんな言葉をよく見聞きするようになりました。「心をととのえる」。この言葉からどんな状態をイメージするでしょうか。どんなときも心穏やかで、冷静、感情の振り幅がないような、そんな感じかもしれません。ついカッとなって声を荒げてしまったり、なんだかわからないけどいろいろなことにイライラしたり、落ち込んだり、不安になったり......。そんな感情の波にもまれることなく、ピースフルな状態でしょうか。

マインドフルネスとは、いまここにあるものを、そのままに体験すること、そのことに気づいていることです。どんな大きな怒りがあろうが、悲しみがあろうが、その感情をただ体験する。その怒りをどうにか鎮めようとか、悲しみをなくそうとか、そういうことはしません。マインドフルネスは、心を穏やかにするものではないのです。結果的に、心が穏やかになる、ということが起きるかもしれませんが、心を穏やかにするものではないのです。

心や思考は、とにかくなにかをしたがります。「私には何もかもが不足している」とか「自分には価値がない」という観念が根っこにあるので、その不足、欠乏を埋めるために、また、達成感を感じるため、自分の存在の意義を見いだすために何かを「する」

こんな自分は、ダメなんだ(=自分は欠乏している)。だから、マインドフルネス(やヨガや瞑想や、あるいはなにかの講座やセミナー)で、その自分をどうにかしなければ。存在する意味のある自分にならなければ。そんなふうに思考が判断し、マインドフルネスの練習をせっせとしたりするわけです。そうして、なんだか自分が成長したような感じがして(達成感)、満足します。でも、根っこにあるのは欠乏感ですから、まだこんなんじゃだめだ、とさらに頑張る、達成感、欠乏感、頑張る......ということがおきてきます。永遠のループです。

今日の1枚:

自分を受け入れるというのは、ダメなところを好きになる、とかそういうことではなくて、ダメとか良いとか判断なしに、ただ、そんな自分がいるなあ、と認める、ということです。

明日の後編に続く>>

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