1つ目のしあわせは、何かを得ることでのしあわせ。2つ目は、執着をしないことで自由になるしあわせでした。3つ目は、何かを得る執着も、執着をしないことへの執着もどちらもない状態です。そもそもしあわせになろう、という意識がないような状態です。
すべての出来事を慈悲として受け取るため、自分がどんな状況に置かれているかが自分の「しあわせ」とはリンクしていません。むしろ、どんな状況にあっても「ああ、しあわせ」と受け取れるしあわせでしょうか。しあわせとは「幸せ」とも書きますが「仕合せ」とも書きますね。仕合せとは、し合わせたこと。運命や巡り合わせ。偶然巡りあった良いことも、悪いこともすべて「し合わせ」ということです。つまり、しあわせとは、自分にとって都合のいいことだけではないわけです。雨が降っても、晴れても、どちらにしても「し合せ」だということに気づいていると、雨が降っても晴れても、しあわせなわけです。
『バガバッド・ギーター』では、どのしあわせが良いとか悪いとか、そういうことは言っていません。ただ、しあわせっていっても、まあ3種類あるんだよね、とおしえてくれています。そして、どれを選んでもいいんですよ、と。そして、それぞれのしあわせを得るために必要なことも教えてくれています。1つめは、行動すること。2つめは学ぶこと。3つめは慈愛です。ちなみに、ヨガで言えば、それぞれカルマヨガ、ギャーナヨガ、バクティヨガにあたります。現代の体を使う「ヨガ」はヨガのほんの一部で、ヨガの世界ってほんとに深淵なのです。
今日の1枚:自然がつくりだすものの繊細さや完全さって、なかなか有り難いことにおもいます。し合せもまた、有り難いこと。すべてのことはしあわせだし、すべてのことはありがたいことなんですね。