この秋から冬にかけて重厚なレクを連続開催してきましたが、その最後を締めくくるのが歌舞伎鑑賞です。とある伝手で席の確保をお願いしたのですが、そこは何と「とちり席のベタ押さえ」でありました。とちり席とは最も「鑑賞しやすい・見えやすい」のはもちろん、歌舞伎役者が舞台上で目線を送るあたりの席を言うようで非常に価値が高いとのことです。役者の「とちり(失敗)」すら分かってしまうという意味も含むとか。MAAはまだ創設されてから日が浅い組織ですが、こうした格別の配慮を得られたことについて関係者の皆様に感謝の念が尽きません。
芸事の感想を文章にすることは私個人の表現力の制約もあって成果が得られるとも思わないので、演技そのものというよりは鑑賞のポイントなどに的を絞りつつ可能な範囲で記していきます。
- 開演前場内-
歌舞伎で使われている話し言葉は現代の会話では馴染みのないものでありますから、ストーリー理解のために別料金で借りる「イヤホンガイド」を使うかどうかという判断が必要になります。私は別の思惑もあって使いませんでしたが、舞台状況を解説したりもするようで大半の人はガイドありの方が理解が深まるように感じますね。
私自身は理解が難しい会話の端々から、どうにか分かる表現を脳内で繋いで話の筋を把握することに深みを感じるタイプなので何も使わず鑑賞していました。そのため、公演中はずっと耳目の感度を最大限に高め続けるという普段にはない体験をすることに。日常生活では耳・目・頭を同時に意識しながら集中するということが殆どないので、鑑賞それ自体が心地よい疲労を呼んでいたような印象です。幕間では緞帳が入れ替わって降りてくるのも面白くて見入ってしまいました。
以前に本会で開催した「文楽レク」の時にも感じていたのですが、それぞれの演者が近世時代の言葉や表現を連綿と現代に受け継いでいく営みを見るに、伝統文化の維持発展に心を砕いていることが容易に想像されます。
- 入れ替わる緞帳 -
さて、演目それ自体についてですが、あれこれと言及するよりも「観て、感じて、震えて」というのが何よりかと思われます。それくらい言葉にならなかったですね。特に坂東玉三郎演じる「傾城雪吉原」の所作・振舞には魂ごと掴まれてしまうほどの衝撃を受けました。演目終了後に会場を去ってからもしばらく体から「震え」が去らなかったことは、「芸の究極」を目の当たりにした全身の素直な応答だったのかもしれません。
途方もない労苦の上に築かれた伝統芸能の粋、是非一度は直接味わうべき文化だと確信した一夜の出来事でした。
- 余韻冷めやらぬ歌舞伎座 -
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