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標題=0.8秒と衝撃。 1st ALBUM ライナーノーツ
掲載媒体=Zoo&LENNON
発行会社=EVOL RECORDS
執筆日=2009年2月4日
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真夜中の布団の中で、自分がどこで寝ているのか突然分からなくなった恐怖で眼を覚まし、呆然としたことがないか。あるいは真夜中の住宅街で、間違いなく目的に近づいているはずなのに、何度も同じ五差路に出てしまうことは、ないか。2009年の旧正月。僕らは何処にいるのだ。
「涙色に濡れた横顔 僕の未来は何処にある
言葉には出来ない想い 昔の話で笑った
八月の空 浮かぶ雲の白さ
僕の寂しさ 締め付けてく」(この世で一番美しい病気)
美しい病気は記憶喪失なのか心神喪失なのか。いや、そうではない。僕らは、ずっといつもくっきりとしらふなんだから。0.8秒と衝撃の音楽に触れた時に、ある懐かしさと既視感と同時に、今、自分がどの時代にいるのかという、足元を揺らす眩暈(めまい)を感じた。それは悪い感じではなく、むしろ、さわやかな震えをともなうものであった。
塔山忠臣と会って話をする。僕が昔よく会っていて、やがて普通にくたばった友人と話しているような気がする。そうなんだ、2009年という年は、1969年なのだ。社会のアナーキーな膨張拡大に限界を感じ、人々の内部に鬱屈して沈殿した液体がニトログリセリンに変化した、あの時代だ。唐突な犯罪が、論理でも感情でも否定しても、なぜか心臓に染みてきた、あの時代だ。僕は、連続ピストル射殺事件の永山則夫も、瀬戸内シージャック事件の川藤展久も、学年が同じだ。三島由紀夫が戦後の混乱の中で育った自分たちのことを「我が世代に強盗諸君の多いことを誇りに思う」と言ったことがある。1969年に三島のその発言を聞いて「同じく」と呟いた。
ROCKとは1969年にスタートした。僕にとってはそうだ。それは時代のエネルギーそのものを音と言葉に詰め込んで、客席に向けて投げ込んだ火炎瓶のようなものだ。日比谷の野外音楽堂、新宿のソウルイート。そこには音楽を楽しむなんていう余裕のない人々の混乱そのものが空間として表現されていた。超絶技巧もシャレた韻踏もないけど、そこには確かに抑え込まれていたものを爆裂させたいという欲望と、冷めた言葉のメッセージが転がっていた。
0、8秒と衝撃の音楽は、「あらゆるリズムはすでに刻まれたよ。あらゆるメロディラインは奏でられきったよ」というモノ分かりのよい達観の歴史の上で、はじめようとするものではない。そんな歴史観はさっさとアルバイト仕事でこなして、ギターと声だけで、ロックのスタート地点に戻って、新たな出発をする宣言だ。生きるとは、ねじまげられたものを、ねじり返してまっすぐにすることなのだ。Twist and Shout。言葉でツイストして、肉体で叫ぶ。
「泣きながら 君を探してた
見つけ出すから 消えてしまわないでね
愛してた 君を愛してた
僕の部屋には あの日の黒猫がいる」(黒猫のコーラ)
人の一生なんて、神様のまばたきのような時間である。でも、その0.8秒の閃光の中で、僕らは出会い、僕らは愛して、僕らは別れて行く。そのことが奇跡であり衝撃なんだ。さぁ、このアルバムを聞いて、あとはゆっくり寝よう。明日すべてが始まる。
▼1stではないですが。
▼1stではないですが。
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