自分が生まれ育ったのは現代の姥捨山みたいな過疎地の片田舎。特徴といえば山間でよく雨が降ることくらい。寂れたガソリンスタンドや農機具屋を兼ねたホームセンターが並ぶ県道をはずれると山ばかり。少し奥へ入れば軽四トラックが一台通るのもやっとという、畦道に毛が生えたような道しかない。それでも田んぼはかなり区画整理されていて、広い長方形が規則正しく並んでいる。自分の家はそんな田んぼの間を通り抜けて細い山路をうねうねと百メートルほど上がった所にある。リョウという幼馴染の家はそのさらに上手になる。田舎の中でもさらに不便な山手だ。
なだらかな谷をはさんで三・四キロ離れた向かいの山側には何件もの家が偏っているが、こちらの山には二軒しか家はない。それには何か経緯があるらしいが、自分は詳しいことは知らない。
子供の足では向かい山の家々までは遠いので幼い頃はたいていリョウと二人で遊んでいた。夏場は水遊びの他、虫をとったり、涼しい場所を求めて木に登った。冬になると鳥の捕獲罠をしかけたりする他は、探検と称して山を歩き回るくらいしかする事がない。とにかく家族以外に人がいないのだからリョウの他の遊び相手は人間ではないものばかりだった。
そんなだから五月頃にトラクターの音がし始めるとリョウと自分はいそいそと田んぼに降りていく。トラクターも珍しいが、家族以外の人間が珍しい。しかも農作業にくるおばさんが非常に親切で昼飯やオヤツを分けてくれる。リョウと自分はおばさんにもらったおむすびをかじり、漬物や飴玉を舐めながら飽きもせず畔に座って代かきの様子を見ていた。
ある年、やはり代かきの翌日だったと思う。自分はリョウを持て余していた。リョウは濁水の田んぼを覗き込んではエビがいないと泣いた。エビというのは豊年エビのことだ。腹を上に向けて逆さに泳ぐ不思議なエビで、出てくるのは田植えからひと月くらい後だ。けれど、まだ小さなリョウに理屈は通じない。田んぼの水の中にはいつでも面白い豊年エビがいると思い込んでいる。自分はリョウを連れて午後いっぱい山沿いの田んぼを覗き込んで歩いたがカエル一匹見つからなかった。代かきのあと田植えまで一日か二日は田んぼには誰も来ない。時たまカラスが鳴いた。歩き疲れたリョウと自分はいつのまにか畦道のはたで寝込んでいた。
目覚めた時には陽は暮れかかっていた。湿気た風が吹いて草むらがざわざわと鳴った。自分達は暫く茫然と畦に座り込んでいたが、寝起き不機嫌なリョウはメソメソとぐずりはじめた。自分はリョウをなだめて立ち上がらせ家に向かおうとした。リョウは足が痛いだの何だのとダダをこねる。困っていたところ、帰り道とは反対の田んぼを向いた途端にリョウはピタリと泣き止んだ。これ幸いと手を引いたが頑として動かず、自分の服の裾をつかんで黙って田んぼを指差した。
自分の家を背にして田んぼに向かって立つと、真向かいの山の中腹に氏神様の社が見える。日はその山向こうへ沈む。夕日が沈むまでは向かいの山は真っ暗な影にしか見えないが、陽が落ちてしまえば暗くてもそれなりに鳥居や社の屋根、木々の間に石段も見える。下の方には向こう山の人家の屋根が見える。水を張った田んぼは巨大な水鏡になって山の社や白っぽい鳥居を映す。何時の間にか風は凪いで水面には色を失った山と空が映っていた。しかしリョウの指差す先には山でも空でもないものがうごめいていた。
最初は霞だと思った。けれどそれは社から立ちのぼり上へ伸びてゆくようだ。煙かもしれない。境内の草刈り後に草を焼くことがある。
「焚き火じゃ、草を焼く煙が映っとるんじゃ」
空を見ても煙はない。でもその時は煙と思い込んだ。
「おとうちゃん」
リョウが向こう岸を見つめてつぶやいた。広い田んぼの向こう岸にぼんやりと白い影が見えるような気もする。けれど自分にはそのぼんやりとした影が人には見えない。だいたい死に別れたリョウのおとうちゃんがこんなところを歩いているはずがない。熱心に向こう岸を見つめるリョウは先ほどまで握っていた自分の手をつとふりほどいた。
「リョウ!」
呼びかけた声も聞こえない様子でリョウは黙々と田んぼに入って行こうとする。自分は慌ててリョウの襟首を捕まえる。と、リョウはいやがって暴れはじめた。その力が半端でない。
「リョウ!」
手足をバタつかせるリョウの肩を捕まえて踏ん張った。その自分の足がふうっと沈み込む。あっと思った時には、リョウと自分は崩れた畦土ごと田んぼに転落していた。
水面に無数の波紋が広がる。
「おとうちゃん?おとうちゃんは?おとうちゃんはどこ?」
水はまだ冷たい。リョウはそんなことも気せず、まだ向こう岸を見つめている。
「帰るぞ!」
リョウを引きずるようにして家への道を駆け上がった。まごまごしていたら、リョウがおとうちゃんと呼んだあの影が後ろからついてくる気がした。赤ちゃんの時に死に別れた父親。リョウは知っているはずがないのだ。リョウよりも自分の方が怖気付いていた。細い道の両側に茂ったクマザサがざわめく。木々の影が家の灯りを隠す。したしみ深いはずのものが恐ろしく見え、暗い茂みの中に何か禍々しいものが潜んでいて、じぶんたちを狙っているように思った。薄暗い細道の途中まで迎えに出ていたリョウの祖母に会ってホッとした。その後はよく覚えていない。人に話したかどうかもわからない。子供の話だから相手にする者もなかっただろう。
あれから20年近くが経ってそんなこともすっかり忘れていた。
自分は去年地元へUターンした。今は、出来たばかりの小さなコンビニでバイトしている。その日は久しぶりの早番だった。明るいうちに帰れる。しかも明日は休みだ。田んぼのそばを通りかると、晴れた夕方でちょうど夕日が山向こうに沈み切ったところだった。水面には色を失った空と山。その眺めに見覚えがあった。車を停めて降りると思ったより空気は冷たかった。道には何匹ものカエルが車に轢かれ、ひしゃげてこびりついていた。生臭い。誰もいないはずだがどこからか人のさざめきがするようだ。耳をすませると突然耳鳴りがした。大きな水鏡に映った景色のどこかで何かが動いている。雲だろうと空を見た。雲はない。気のせいか。いや、向こう岸に動くものがある。人だ。ゆっくりと歩いている。突然子どもの時を思い出した。手のひらに汗がにじんだ。
誰もいるはずはない。何かの見間違いだ。自分は大きく息を吸って正体を確かめようとじっと見つめた。
それはもちろんリョウのおとうちゃんではなかった。けれど自分の知っている人でもないようだった、影の濃淡から、ふたり連れのように見て取れた。自分の家のある山を指さし何かを語らいあっている様子だ。それがふと立ち止まった。向こうの方でもこちら岸の自分に気がついたようだった。女のほうが少しほほえんで、懐かしそうに目を細めた。自分もなんだか懐かしい気持になった。薄暗くてはっきり見えないのがもどかしい。近ければはっきり見えるのに。もう一人が大きく手を上げて手招きをした。
くゎっ!
唐突な鳴き声。鳥だ。ゴイサギが田んぼの真ん中から疑い深くこちらをうかがっていた。辺りは車から降りた時と変わらない明るさで、遠くまで見わたせる。向こう岸のひとかげはもうなかった。辺りには隠れるところもない。ホッとすると同時になぜか寂しかった。泣きたいような喪失感があった。自分はなぜか田んぼに踏み込もうとしていた。田んぼには鳥がたてた波紋が広がり、もう何も映っていなかった。
話はこれだけだ。
あれが何かは分からない。話しても笑われそうだから人に尋ねてもない。ただ、最近知ったが、長野の山中には「えてもの」と呼ばれる物の怪があるそうだ。白昼から幻を見せて山に迷わせたり、生首や何か気味の悪いものを見せて正気を失わせたりする。この「えてもの」を見るのはたいてい猟師、つまり殺生をする者だけ。
ここは長野の山中ではなく、自分は猟師でもない。あれが「えてもの」かどうかもわからない。
ただ殺生だけは、猟師のように直接手をかけないだけで、今の人間はずいぶんやっている気がする。「えてもの」の類が人里へ進出して不思議ないくらいには。
* * *
寒い午後。
サツマイモの皮をむいて角切りにし塩水で茹で、甘く煮たリンゴと和える。あとは熱いコーヒーと深呼吸を。
●「えてもの」 はな(深呼吸歌人[47])
コメント
コメントを書く