●橘川幸夫
僕らの体内に残されている記憶遺伝子には、大災害と戦争と疫病による大きな不幸の悲しみが刻まれている。衛生学の発達は、疫病の大被害を最小限に抑えることが出来ているように見える。戦争は、常に人類滅亡の危機をはらみながらも危うい平和が保たれている。しかし、大地震、大津波の恐怖は、何十年サイクルで起きることを知りながら、人間の進化など自然を前にしては児戯に等しいといわんばかりの猛威を見せつけ、人々を物理的に精神的に不幸の極みに追い立てる。
僕らの体内に残されている記憶遺伝子には、大災害と戦争と疫病による大きな不幸の悲しみが刻まれている。衛生学の発達は、疫病の大被害を最小限に抑えることが出来ているように見える。戦争は、常に人類滅亡の危機をはらみながらも危うい平和が保たれている。しかし、大地震、大津波の恐怖は、何十年サイクルで起きることを知りながら、人間の進化など自然を前にしては児戯に等しいといわんばかりの猛威を見せつけ、人々を物理的に精神的に不幸の極みに追い立てる。
2011年3月11日の悲劇は、この時代を生きた人間にとって、生涯忘れることの出来ない事件として、語り続けるだろう。祖父母や両親が、関東大震災や太平洋戦争を語り続けたように。更に、大自然の災害は、原発崩壊という高慢な人間の知への信仰を打ち砕く悲劇を生み出し、無限の現在進行形の悲劇を子孫にまで押し付けてしまった。
「ガレキとラジオ」という映画を見た。海岸に住む人たちですら想像を絶する大津波で多くの肉親、友人たちを失った人たちの表情は、観る者を悲しくさせる。どんなに笑顔を見せてくれても、その裏側の悲しみが伝わってきて、たまらなくなる。ただ、この映画は、単に、被災地の悲しみを共有しようというものではない。
ある被災者の女の子は、津波以前の生活を思い出す。家族が大嫌いで、喧嘩ばかりして、「死んでしまえ」と、憎しみさえ覚えていた。しかし、津波がその家族を押し流してしまった時に、どれだけ自分が家族を愛していたことを知る。大きな喪失感は、そのことによって、本当に大切なものを知る。日常とは愚か者である。何が大事で、何が大切で、何を愛しているのかを、自分のエゴによって見えなくさせてしまう。災害は悲しいが、その中で生き延びた人は、失うことで発見したことを伝える役割がある。人間は、一人で生きているのではなく、家族や友だちや地域の仲間たちと一緒に生きることによって、はじめて自分なのだと。
この映画を作った梅村太郎くんとは、彼が博報堂に入社する前からの友人である。太郎くんは、神戸の古い出版社の息子で、阪神淡路大震災の被災をもろに受けた。その経験もあって、東北大震災があって、すぐに現地に向かったのだろう。太郎くんは博報堂に入って、優秀なクリエーターとして、テレビCMの撮影を数多く手がけた。その彼の仕事上のノウハウが、ここに見事に生かされた。太郎くん、君が仕事で選んだ技術は、こういう映画を撮るためだったのだよ。
311以後、南三陸町のガレキの中に二度ほど立った。そこは生命も生活も根こそぎ奪ったのに、何もなかったかのような平穏な海面と大空が広がっていた。そこには、紛れも無い日常の時間が流れていた。僕たちが、人間の傲慢な意識と欲望によって見えなくさせている本当に大切なものを、非日常の力によってではなく、日常の中で発見していくことが大事であることを、この映画を見て、何度も思い起こした。
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橘川幸夫放送局通信
橘川幸夫
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