あざみと学ぼう。歴史ッ!!のコーナーで〜す♫
その83 知将に生まれたかった。(薊談)
こんばんわあざみです。
この歴史をまなぼう☆では、魔界には欠かせないファクターである“歴史”を一緒に薊と学んでいこうではないか!!というブログです。
魔界での歴史上の武将たちのその生き様や、心意気、はたまたどうして死んだのかというその人物の歴史を紹介し、魔界をさらに楽しんじゃおうという気持ちをもって筆をとらせていただいている次第です!
それでは今日もはじめますな。
陶隆房の謀反により大寧寺(だいねいじ)にて大内義隆は自害。
↑これが大寧寺の変の大まかな説明です。
のちの明智光秀が織田信長を討った本能寺の変と並ぶ下剋上の事例です。
下剋上か〜憧れちゃうねっ♪キャピ
それにしても本能寺の変はよく知れ渡ってるのに大寧寺の変が取り沙汰されてないとは失礼しちゃう話ですよね!!
ねえ!!
さてさて、話を戻します。
大寧寺の変の翌日から隆房は動きが早かったんです。
まだ7歳だった大内義隆の実子・大内義尊(よしたか)を殺害し、大内一家を滅亡させたのです。
その後、隆房は、以前、一時期だけ義隆の養子となっていた事のある、大友宗麟の弟・義長(よしなが)を、豊後から呼び戻し、当主として迎え入れるのです。
なぜに??
もちろん、未だ歳若き義長は、名目上の当主・・・実権は隆房自身が握るための策です。
なるほど摂政関白みたいなね。
そんな、この大内家内でのゴタゴタを、じ~っと見ていた者がおりました。
後に西国の王者となる知将・・・
知将きたああああああああ!!
知将って言葉大好きなんです!!!!!!毛利さんはよくわからないので楽しみですぅぅううううううううう。
つづく。
それではまた明日のこの時間にお会いしましょう。
今宵はここまでに致しとう御座います。
あざみ
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