1970年代、日本の公務員は真剣に2+2は何か、4であれば、それを社会に定着させるように頑張ったと思う。それは日本社会全体がそうであった。
しかし今は確実に違う。
最早、2+2は何かを模索しない。
最高権力者(現在は安倍政権、日本を動かしてきた米国の勢力―「ジャパン・ハンドラー」と呼ぶ」)が何をいうか、彼らが2+2が5なら5という、3というなら3という、そういう社会になった。
そして「2+2=4」という者を排除する社会になった。
2016年3月15日長崎新聞は「水や空」を掲載している所、次の通り。
表現の自由は圧迫されているのだろうか。「別に窮屈さは感じない。私は常に言いたいことを言うから。でも、だからテレビに呼ばれる回数が極端に減ったのだと思う。それは実感している」。先日来崎した外交評論家、孫崎享さんの弁▲なるほど歯に衣(きぬ)着せぬ講演の中で、違
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おはようございます。毎日規則正しいメール送信されてますね。多くの活動の中で。本文の最初のところに、1970年代の日本の公務員の真剣さに付いて記載されてますね。是に付いては、NHK教育の、こころの時代に、無着先生から老師になった、やまびこ学校・この時代の地方{山形だっただろうか?}の写真が浮かんで来ます。今は大分在住。この当時の公務員となると、教育は・・と思ってしまいます。恐らく団塊世代なんでしょう。もしくはその上。だけど、人にもよりますね。個人的に知ってる人物がいた。それでも、何となく役所には行き易かった事を思い出します。今・・となると、ほとんど用がないですが、それでも教育に付いて電話した事があった。7年は昔になる。深刻に考えていた事を、今、只今思い出しております。
(ID:19005377)
私は「全体主義やファシズムが銃と剣でしか成立しない」とばかり思ってましたが、メデイアが腐敗するといとも簡単に全体主義とファシズムが成立するということを今の日本の現状から学んでいるところです。しかし、日本は今のこのままでは終わらないのではないかと心配します。中国や北朝鮮への圧力を更に強化するために「偽旗作戦」めいた何かが起こるのを危惧します。
知人の勧めで、先週の旅中、米国のケヴィン・J・バレット氏が編集する「WE ARE NOT CHARLIE HEBDO]を読んでいたら、何だかこの世界が恐ろしくなってきました。イスラエルのモサドはCIA、フランス情報部と協力して当該出版社襲撃を実行し、襲撃直後にイスラム過激派の犯行として西側メデイア(日本のメデイアも同罪)に一斉に報道させ、フランス全土を戒厳令下に置き、フランスを反露、反アサド、反パレスチナ人に反転させ、そして、フランス在住のユダヤ人にイスラエル移住を促すことに成功した。その背後にあるのはイスラエルのネタニアフ大統領の一石四鳥を狙う策謀だった。とざっとそんなことが22名の学者、研究者、ジャーナリストによって実証的に詳述されているのです。
日本はこのようなフランスにならないように気をつけねばなりません。その為の有効な対策は何か?それが問題です。
(ID:18471112)
私の周りも多くは2+2は何かを模索しない、「2+2=4」という者を排除する人たちです。その中、歳いっている者はたいてい目が澱んでいる。
職場であれば「それが不満なら辞めればいい」、一般の場ならば「イヤなら何処か他所の国で暮らせばいい」、そういう感覚のようです。「郷に入っては郷に従え」-これが日本では昔から無条件で徹底しているせいだと思います。ただ、孫崎さんのお話からすると70年代は彼是余裕があって まだ「郷」そのものは腐敗していなかったのでしょう。それが今や「郷」が頭から腐っている犯罪集団の様相を帯びてきているところが問題のポイントではないでしょうか。これまでずっと「郷に入っては郷に従え」を叩き込まれてきた日本人が「2+2=5」に異議アリ!と即応するのは至難の業と思います。かといって放っておけば全身を病に侵された人の如く滅びるのは目に見えています。先日の記事で郷原信郎氏の言葉にありましたように同調圧力に対して「踏ん張る」、「腹をくくる」ことを習慣付ける(広い意味での)教育に舵を切ることが急務のはずです。