フレデイ タン のコメント

>>3
ウイキペデイアによれば、北朝鮮はソヴィエト連邦が設計した研究用原子炉を運転し1965年8月に臨界に達せしめたと書かれています。一方、日本は米国から導入した動力試験炉を1963年10月に運転開始したと書いてあります。日本よりわずか2年遅れただけと知り彼らのスタートが意外に早いのに驚きました。

朝鮮半島が日本の植民地だったころ、日本の主力産業の工場立地は北朝鮮に集中していますから、現地の人々の技術知見の水準はかなり高かったと思われます。更には1950年前後に北朝鮮はマッカーサーの核攻撃の脅威に曝され、そのおののきは尋常では無かったと推測されます。核は核で対抗するという意識は他のどの国より北朝鮮においては切実だったのではないでしょうか。

No.6 102ヶ月前

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