同じ価値観を持っている国同士で仲よくしましょう、こんなもの外交でもなんでもない。
同じ価値観を持っているもの同士が協力できるのは当然のことである。
異なる価値観を持つ国々と如何に関係を築くか、そこが外交の一番重要なところである。
ところが価値観外交なるものがもてはやされている。
WIKIPEDIAは「もともとはアメリカ合衆国で新保守主義の立場から提唱されたもので、日本の安倍晋三、麻生太郎らが共鳴した」と書いている。
この価値観外交には別の面がある。
つまり、価値観が異なっているとみられる国を包囲し、締め上げようという狙いである。
6月30日紀伊国屋新宿店で、鳩山、植草、孫崎著『「対米従属」という宿ア』出版記念の対話をした。
ここで鳩山氏は次のように述べている。
「自分は今回中国で価値観外交というものをもうやめるべきだと述べた。
中国の周りの国で仲よくしよう、つまり中国を孤立させようとする目
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コメント
>>2
文中の「暴君」が米国を指すと仮定しての以下の議論だが、「自分らを無条件で暴君に委託」していると解釈するのはどうかな。日本の政治家の大半、日本人の大半は米国の方針は米国民の最大利益を追求することを第一義としていることは承知しながら、その方針とその結果の力を利用して日本人の利益を追求しようとしているのではないか。具体的には、中国が尖閣諸島を日本から奪うための行動を阻止するには、米国の力を利用しようというだけである。日本は平和憲法を守るという意志がある限り、防衛力にも限界があり、また、国民は尖閣諸島を守るために戦争をするなんてことは馬鹿げていると思うからこそ、米国の、米国自身のための防衛力を利用しようとしているだけであろう。「自分らを無条件で暴君に委託」しているのではない。日本自身の力だけで13億の国民を持つ中国と戦えというのか。それは阿呆というものである。
(ID:20036883)
他の国は自国の将来の為に戦略を練る。当然だ。しかし戦慄することだがこの国の国民と政府首脳が共有していることは共同体の将来なぞどうでもいい、ということである。鄧小平は100年の改革解放を南巡講和で謳ったが日本は1年先どころか明日の戦略もない。あるのは希望的観測ですらない、願望だけだ。孫子曰く「勝兵勝ちて然る後に戦いを求め敗兵戦いて然る後に勝ちを求む。」
率直に言って私は日本人がワカラナイ。支配層が人民を売り飛ばすというのは倫理的にはともかく理解はできる。愚か過ぎる利己主義という論理があるからだ。しかし、自分らを無条件で暴君に委託するというのはどんな思考をしたらでてくるのだ?日本人は礼儀を弁え、勤勉なのではない。単に従順なだけじゃないのか?重光葵の疑念は外れてくれ、頼む。