健康を考える上では、先ず人は誰でもいずれ死ぬということをまず考えるべきである。そして、個人的な死生観でいうなら、長寿=幸福とは言いきれない現実を想起する。 長寿にして健康、元気ハツラツ、心身共に中壮年期と変わりなし、というなら、それはまことの幸福であろう。しかし、必ずしもそのような幸福と長寿が両立しないこともある。誤解を恐れずに言うなら、ただ息をしているだけの長寿は、果たして幸せなのだろうか?とふと考える。勿論、人は天寿を全うするべきである。 しかし、一般に長寿であればあるほど病気等は避けがたい。となると、自分はどのような病気で死ぬことが理想か、戯れに考えたりする。 先ず思い浮かぶのは、認知症は出来れば避けたい、ということである。脳血管疾患も、脳機能に直接影響することを考えると、出来ることなら避けたい。となると、次善となるのは、ガンだろうか?末期ガンは痛みを伴うだろう。耐え難い苦痛のうちに死を迎えるかもしれない。しかし、それでも、個人的には、長期的に単に息をしているだけという状態よりは、比較的ゴールというか末期の想定がつきやすいのではなかろうか?と思われるのである。あくまでも個人的死生観であって、他者に対してこのような見解を声高に言い立てる気は毛頭ない。あくまで、“私なら“、というハナシである。 ということで、個人的には、ガンならガンで病気とともに自然死を迎えるまでのこと、という強がりを心に秘めている。今のところは、健康上の心配は高血圧のみである。また、私はどちらかというと“大酒呑み“かもしれない。ただ、シッカリ3日~4日は連続休肝日をもうけたり、ガン検診は毎年定期的に受けている。
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孫崎享チャンネル
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健康を考える上では、先ず人は誰でもいずれ死ぬということをまず考えるべきである。そして、個人的な死生観でいうなら、長寿=幸福とは言いきれない現実を想起する。
長寿にして健康、元気ハツラツ、心身共に中壮年期と変わりなし、というなら、それはまことの幸福であろう。しかし、必ずしもそのような幸福と長寿が両立しないこともある。誤解を恐れずに言うなら、ただ息をしているだけの長寿は、果たして幸せなのだろうか?とふと考える。勿論、人は天寿を全うするべきである。
しかし、一般に長寿であればあるほど病気等は避けがたい。となると、自分はどのような病気で死ぬことが理想か、戯れに考えたりする。
先ず思い浮かぶのは、認知症は出来れば避けたい、ということである。脳血管疾患も、脳機能に直接影響することを考えると、出来ることなら避けたい。となると、次善となるのは、ガンだろうか?末期ガンは痛みを伴うだろう。耐え難い苦痛のうちに死を迎えるかもしれない。しかし、それでも、個人的には、長期的に単に息をしているだけという状態よりは、比較的ゴールというか末期の想定がつきやすいのではなかろうか?と思われるのである。あくまでも個人的死生観であって、他者に対してこのような見解を声高に言い立てる気は毛頭ない。あくまで、“私なら“、というハナシである。
ということで、個人的には、ガンならガンで病気とともに自然死を迎えるまでのこと、という強がりを心に秘めている。今のところは、健康上の心配は高血圧のみである。また、私はどちらかというと“大酒呑み“かもしれない。ただ、シッカリ3日~4日は連続休肝日をもうけたり、ガン検診は毎年定期的に受けている。