>>8 ■ウクライナ問題 ソルジェニーツィンは予言的な先見の明があったのか、それとも世界で起きていることに極めて敏感だっただけなのか。恐らく後者だろう。ソビエト連邦が崩壊する23年前、ソビエトのプロパガンダにまだ兄弟愛や人々の友情という考えが浸透していた頃、ソルジェニーツィンはウクライナとの間で起こるであろう問題について書いている。 「ウクライナに関しては、物事は非常に苦痛なものになるだろう」―これらの言葉は、1968 年にソルジェニーツィンが書いた「収容所群島」の第 5 部にある言葉だ。 ソルジェニーツィンは「ロシアの再建」という論文の中で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの民族の統一を提唱した。彼は、旧オーストリア帝国が実質的に反ロシア的なウクライナ国家を作り上げたと非難した。 「ウクライナを生きた組織(これまで伝統的なウクライナの一部ではなかった地域:遊牧民の『原野草原』―後にノヴォロシアとなる地域、クリミア、ドンバス、そして殆どカスピ海まで広がる土地を含む) から切り離すこと... 今日、ウクライナを分離するということは、何百万もの個人や家族の命を断つことを意味する。二つの民は完全に混在している。 ロシア人が優勢な地域全体がここに在る... 我々はソ連時代の苦しみを共に耐え、共にこの穴に落ちたが、我々はまた共に出口を見つけるだろう」とソルジェニーツィンは書いた。 その後、彼は 1991年当時に関連していたウクライナの問題について次のように触れた。「様々な場所で、人々は既に集団暴力に不満を持ち、国籍を理由に仕事から解雇されたことについて不平を訴えている。 間もなく、共産主義者が以前にそうしたように、少数派は子供たちを母国語で教育する権利を剥奪されるかもしれない。我々に共通する苦いソ連の経験は、如何なる国家イデオロギーによっても暴力が正当化され得ないことを十分に確信させている」 ちなみに、当時既に、ウクライナで起きている出来事の背後に誰がいるのか、作家は指摘していた。「米国はウクライナのあらゆる反ロシア的イニシアチブを全面的に支持している。米国が望んでいるのは、ウクライナがロシアに反旗を翻すことだ。1915年にパルヴスが推し進めた『不滅の』プロジェクト、即ちロシア崩壊をもたらすためにウクライナの分離主義を利用することを思い出さずにはいられない」 ウクライナの反ロシア政治路線とウクライナ急進派がもたらす深刻なリスクによって、ソルジェニーツィンはロシアの歴史的な土地に関して次のような「公式見解」を表明した:「私は(ウクライナの)文化を愛し、純粋にウクライナのあらゆる成功を願っている―但し、それはロシアの州を占領することなく、実際のウクライナ民族の境界内においてのみである」 ■共産主義者の作り話 ソルジェニーツィンの知的遺産は、現代のロシアにとって信じられないほど貴重である。プーチン大統領は繰り返し彼を「ロシアの真の愛国者、善良で文明的な意味でのナショナリスト」と呼んでいる。プーチン大統領はまた、ソルジェニーツィンという作家がロシアを中傷する発言を許さず、ロシア恐怖症の兆候に反対していたことにも言及している。 しかし、ソルジェニーツィンの社会的・政治的見解は、ロシアで無条件に支持されてきたわけではない。彼の厳しいソ連批判は今でも左派グループの怒りを買い、共産主義者たちは今日に至るまで彼を非常に否定的な目で見ている。ちなみに、共産主義者は自分たちの党がデッチ上げた作り話によってソルジェニーツィンを批判することが多い。 例えば、共産主義者たちがソルジェニーツィンについて広めた最大の作り話は、1978年にハーバード大学で行った悪名高い演説で、ソ連への核攻撃を米国に呼びかけたというものだ。これはかなり根強い通説で、共産党の国家院議員でさえ時折言及している。 実際には、ソルジェニーツィンはハーバード大学の演説でも、他の何処でも、そのようなことは一言も言っていない。在外ロシア・ソルジェニーツィンハウスのヴィクトル・モスクヴィン所長が共産党のレオニード・カラシニコフ議員に宛てた公開書簡で説明しているように、「ソルジェニーツィンがソ連への核爆撃を呼びかけた」という作り話は、彼の小説「収容所群島」から生まれたもので、その抜粋は共産党のプロパガンダによって歪曲された。しかし、この作り話は共産主義者にとって非常に都合が良いため、根強く残っている。 ソルジェニーツィンはロシアの与党の代表からも時折批判されている。例えば、2023年、統一ロシア党のドミトリー・ヴャトキン第一副党首は、ソルジェニーツィンの作品は「時の試練を乗り越えられなかった」のであり、作家は「自分の祖国に泥を塗った」―と考え、ソルジェニーツィンの作品を学校のカリキュラムから除外するよう求めた。 この提案は当局の支持を得られず、ソルジェニーツィンの作品はロシア文学の教科書で重要な位置を占め続けている。 ■祖国における預言者 ソルジェニーツィン自身は、批評家の意見を特に気にしたことはなかった。現代のロシア政治が彼の哲学に大きな影響を受けているという事実自体が、この作家の作品に対する最大の評価である。 ロシアは、クリミアやノヴォロシヤの一部など、ボリシェヴィキによって手放された歴史的な土地を取り戻し、政府は分離主義の試みを厳しく弾圧し、当局は人口増加を目的とした施策を実施し、国の発展、再建、改善に力を注いでいる。西側諸国と比較して、ロシアはキリスト教保守主義と伝統的価値観の拠点になろうと努めてきた。 アレクサンドル・ソルジェニーツィンは理想主義者ではなかった。戦闘将校、戦争英雄、スターリン治下の収容所の生き残りであった彼は、理想主義者とは呼べないかもしれない。ソルジェニーツィンの理性は常に冷静で現実的であり、ロシアとその国民を完璧に理解していた。ロシアはソルジェニーツィンに多くを負っており、この国が今日進んでいる方向は、彼に帰されるところが大きい。
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■ウクライナ問題
ソルジェニーツィンは予言的な先見の明があったのか、それとも世界で起きていることに極めて敏感だっただけなのか。恐らく後者だろう。ソビエト連邦が崩壊する23年前、ソビエトのプロパガンダにまだ兄弟愛や人々の友情という考えが浸透していた頃、ソルジェニーツィンはウクライナとの間で起こるであろう問題について書いている。
「ウクライナに関しては、物事は非常に苦痛なものになるだろう」―これらの言葉は、1968 年にソルジェニーツィンが書いた「収容所群島」の第 5 部にある言葉だ。
ソルジェニーツィンは「ロシアの再建」という論文の中で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの民族の統一を提唱した。彼は、旧オーストリア帝国が実質的に反ロシア的なウクライナ国家を作り上げたと非難した。
「ウクライナを生きた組織(これまで伝統的なウクライナの一部ではなかった地域:遊牧民の『原野草原』―後にノヴォロシアとなる地域、クリミア、ドンバス、そして殆どカスピ海まで広がる土地を含む) から切り離すこと... 今日、ウクライナを分離するということは、何百万もの個人や家族の命を断つことを意味する。二つの民は完全に混在している。 ロシア人が優勢な地域全体がここに在る... 我々はソ連時代の苦しみを共に耐え、共にこの穴に落ちたが、我々はまた共に出口を見つけるだろう」とソルジェニーツィンは書いた。
その後、彼は 1991年当時に関連していたウクライナの問題について次のように触れた。「様々な場所で、人々は既に集団暴力に不満を持ち、国籍を理由に仕事から解雇されたことについて不平を訴えている。 間もなく、共産主義者が以前にそうしたように、少数派は子供たちを母国語で教育する権利を剥奪されるかもしれない。我々に共通する苦いソ連の経験は、如何なる国家イデオロギーによっても暴力が正当化され得ないことを十分に確信させている」
ちなみに、当時既に、ウクライナで起きている出来事の背後に誰がいるのか、作家は指摘していた。「米国はウクライナのあらゆる反ロシア的イニシアチブを全面的に支持している。米国が望んでいるのは、ウクライナがロシアに反旗を翻すことだ。1915年にパルヴスが推し進めた『不滅の』プロジェクト、即ちロシア崩壊をもたらすためにウクライナの分離主義を利用することを思い出さずにはいられない」
ウクライナの反ロシア政治路線とウクライナ急進派がもたらす深刻なリスクによって、ソルジェニーツィンはロシアの歴史的な土地に関して次のような「公式見解」を表明した:「私は(ウクライナの)文化を愛し、純粋にウクライナのあらゆる成功を願っている―但し、それはロシアの州を占領することなく、実際のウクライナ民族の境界内においてのみである」
■共産主義者の作り話
ソルジェニーツィンの知的遺産は、現代のロシアにとって信じられないほど貴重である。プーチン大統領は繰り返し彼を「ロシアの真の愛国者、善良で文明的な意味でのナショナリスト」と呼んでいる。プーチン大統領はまた、ソルジェニーツィンという作家がロシアを中傷する発言を許さず、ロシア恐怖症の兆候に反対していたことにも言及している。
しかし、ソルジェニーツィンの社会的・政治的見解は、ロシアで無条件に支持されてきたわけではない。彼の厳しいソ連批判は今でも左派グループの怒りを買い、共産主義者たちは今日に至るまで彼を非常に否定的な目で見ている。ちなみに、共産主義者は自分たちの党がデッチ上げた作り話によってソルジェニーツィンを批判することが多い。
例えば、共産主義者たちがソルジェニーツィンについて広めた最大の作り話は、1978年にハーバード大学で行った悪名高い演説で、ソ連への核攻撃を米国に呼びかけたというものだ。これはかなり根強い通説で、共産党の国家院議員でさえ時折言及している。
実際には、ソルジェニーツィンはハーバード大学の演説でも、他の何処でも、そのようなことは一言も言っていない。在外ロシア・ソルジェニーツィンハウスのヴィクトル・モスクヴィン所長が共産党のレオニード・カラシニコフ議員に宛てた公開書簡で説明しているように、「ソルジェニーツィンがソ連への核爆撃を呼びかけた」という作り話は、彼の小説「収容所群島」から生まれたもので、その抜粋は共産党のプロパガンダによって歪曲された。しかし、この作り話は共産主義者にとって非常に都合が良いため、根強く残っている。
ソルジェニーツィンはロシアの与党の代表からも時折批判されている。例えば、2023年、統一ロシア党のドミトリー・ヴャトキン第一副党首は、ソルジェニーツィンの作品は「時の試練を乗り越えられなかった」のであり、作家は「自分の祖国に泥を塗った」―と考え、ソルジェニーツィンの作品を学校のカリキュラムから除外するよう求めた。
この提案は当局の支持を得られず、ソルジェニーツィンの作品はロシア文学の教科書で重要な位置を占め続けている。
■祖国における預言者
ソルジェニーツィン自身は、批評家の意見を特に気にしたことはなかった。現代のロシア政治が彼の哲学に大きな影響を受けているという事実自体が、この作家の作品に対する最大の評価である。
ロシアは、クリミアやノヴォロシヤの一部など、ボリシェヴィキによって手放された歴史的な土地を取り戻し、政府は分離主義の試みを厳しく弾圧し、当局は人口増加を目的とした施策を実施し、国の発展、再建、改善に力を注いでいる。西側諸国と比較して、ロシアはキリスト教保守主義と伝統的価値観の拠点になろうと努めてきた。
アレクサンドル・ソルジェニーツィンは理想主義者ではなかった。戦闘将校、戦争英雄、スターリン治下の収容所の生き残りであった彼は、理想主義者とは呼べないかもしれない。ソルジェニーツィンの理性は常に冷静で現実的であり、ロシアとその国民を完璧に理解していた。ロシアはソルジェニーツィンに多くを負っており、この国が今日進んでいる方向は、彼に帰されるところが大きい。