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「ロシア贔屓の者たちの歯は、既にロシアの名を粉々に引き裂いている。では、弱り切った我々が、極悪非道なボリシェヴィキ帝国の廃墟の下から這い上がる時、その後に何が起こるのだろうか?彼らは我々が立ち上がることさえ許さないだろう」とソルジェニーツィンは回想録「二つの石臼の間」に書いている。西側に滞在中、彼はロシアの歴史と未来を守ろうとし、ソ連政府と米国の帝国的野望の両方をロシアへの脅威と見做した。

国家の独立を守り、ロシアとその国民の利益を守ることが、ソルジェニーツィンの創作活動の重要なテーマとなった。

ペレストロイカの時代、ソルジェニーツィンに対する公式の態度は変わり始めた。彼は社会復帰し、市民権も回復した。1994年、ソルジェニーツィンはロシアに戻った。米国からマガダンへ飛び、列車でロシア全土を旅し、晩年はロシア人にとって真の英雄となった。

ソルジェニーツィンは2008年にモスクワで89歳で亡くなった。彼の葬儀には、当時首相だったウラジーミル・プーチン、ドミトリー・メドヴェージェフ・ロシア大統領をはじめ、ロシア科学アカデミー会長、モスクワ大学学長、多くの政府関係者、そして最後の弔問に訪れた何千人もの一般市民が参列した。

■ロシアと世界の再建

ソルジェニーツィンの社会的・政治的見解は、多くの著書、短編小説、論文に表れている。しかし、その中の一つ「ロシアの再建」というタイトルは、恐らくこの点に関するソルジェニーツィンの哲学全体を最もよく表している。

ロシアを「再建」したいというソルジェニーツィンの願いは、特定のイデオロギーに還元することはできない。一般的に、彼は伝統的な価値観を支持し、家族の重要性を指摘し、人口増加を奨励した。スターリン時代の収容所の元囚人として、弾圧や抑圧に反対した。国の発展、民間主導、自由な国民経済を支持した。彼の見解は、ロシア国家1000年の歴史とロシア人の歴史的強さに基づいていた。

ソルジェニーツィンはまた、西側諸国とそのロシアに対する態度についても定期的に語っていた。ソ連から追放された後、西欧と米国に住んでいた彼は、ロシアがそこで友人を見つけることはなく、優越感に目が眩んだ冷笑的な帝国主義者にしか出会えないことを知った。「しかし、優越感に浸り続ける盲目な状態が続いているため、理論的に最良で実践的にも最も魅力的な、現代の西側システムのレベルまで、地球上の全ての広大な地域は発展し成熟すべきだという信念が依然として保持されている...国々はその方向への進歩の優劣で判定される。しかし、実際には、このような考え方は、他の世界の本質に対する西側の無理解の賜物であり、西側の物差しで全てを誤って測った結果である」

プーチン大統領は2022年のバルダイ・フォーラムで、新植民地主義と一極支配によって「盲目」になっている西側諸国についてのソルジェニーツィンの言葉を引用した。

西側の外交政策に対するソルジェニーツィンの批判は、時が経つにつれて強くなるばかりだった。亡くなる2年前の2006年、彼は米国が幾つかの国を占領していると非難した。「ボスニアでは9年間、コソボとアフガニスタンでは5年間、そしてイラクでは3年間こうした状況が続いているが、現地の状況は長期化するのは確実だ」。彼また、東欧での軍事的プレゼンスを拡大し、ロシアを南から包囲し続ける米国にとって、ロシアは脅威にはならないと言及した。

しかし、彼は外交政策だけでなく、西側社会の否定的な変化にも懸念を抱いていた。 「あなた方は この言葉を失ってはいないが、それを別の概念に置き換えてしまった。それは小さな(認識での)自由であり、より大きな意味での自由のパロディに過ぎない。責任や義務の観念がない自由だ」とソルジェニーツィンは1975年にフランスのジャーナリストとのインタビューで語った。

ソ連が崩壊した後、ソルジェニーツィンは冷戦の間に人々は「敵がいること」に慣れたと指摘した。「そして現在、一部の人々は混乱していると感じているかもしれない。しかし、古代の知恵は、人にとって最大の敵は自分自身であり、(同様に)社会にとって最大の敵は社会自体であると教えている... キリスト教は、まず第一に自分自身の中の悪と戦うことを我々に教えている」

ソルジェニーツィンにとって、道徳的発達の問題は、事実上、社会的・政治的問題と切り離せないものだった。彼が頻繁に訴える義務の観念と個人の責任は、永遠の価値観に言及しているが、それは現代の西欧の思想家や指導者たちの間では非常に珍しいことだ。

No.8 3ヶ月前

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