私は長年日本人をやっているから、遠慮なく言いたいことを書かせてもらう。正直に言うと、私は日本人はダメだなと思っている。 ダメだなと思っている日本人はB層だ。だが、B層は日本人のほとんどだ。だから、結果的に私は日本人として、日本人に期待はしないのである。 ダメ認定する理由は沢山列記出来る。 私にとって日本人のここがイヤだ、みたいな記憶である。 独断と偏見で思いつくままに列記する。 ①ヒロヒト下血報道から大喪の礼は不快だった。日本人の全てがヒロヒトの死を悼んでいるかの「圧力」は不快と呼ばずしてなんであろうか?誰の死を悼むかは、私の自由だ。私はあれ以来、反天皇制になった。何故、日本人はヒロヒトの死に自粛ムードで同調するのか、どうでもよいと内心思っているはずなのに。「空気」を読みすぎのカンジにイラ立った。 ②鳩山政権時代、沖縄基地縮小、「最低でも県外」に、ヤマトンチューは「同調」しなかった。 沖縄県民は、チンピラ米兵による少女暴行事件や基地被害を経て、もういい加減にしろ!そんなに日米安保条約が必要なら、本土に基地を持っていけ!という意思表示をしていた。 だからこそ、鳩山氏はその思いに応えようとした。私はそう理解していた。 しかし、B層日本人はその鳩山氏の思いを、ジコチューにも踏みにじった。沖縄県民の思いを踏みつけたのであった。アメリカ帝国に支配された官僚機構、マスメディアに対峙するべきは、沖縄県民と同じ目線にたった名もなき日本人達しかいない。即ち、民衆の連帯により沖縄県民の思いを政府にぶつけて、民衆の力で沖縄米軍基地を日本から叩き出すのが理想、あるべき姿。 しかし、しかし、だ。 あろうことか、時の政権、鳩山氏が「最低でも県外」といった方針に、日本の官僚、メディア、B層大衆は一斉に足を引っ張る方向に動き出した。ヤマトンチューのB層は沖縄県民がどうなろうと、知ったことではない、そう私には見えた。 この国はダメだ。日本人はアウトだ、と。私はだから、日本人B層をますます軽蔑するようになった。 私は日本人は、他者を気に掛ける、他人に迷惑をかけない思いやりのある民族性だ、みたいな論調を鼻白みながら、白けて眺めるのみだ。 本当の日本人はジコチューだ。 沖縄県民がどうなろうと、知らん顔の日本人はジコチューである。ヒトに迷惑をかけない、気遣い、気配り、日本人のこういう姿勢は表面的な取り繕い、上っ面だけで、とりあえず、横にいるヒト、隣のヒトと同じことをしておこう、程度の、なんの思想性も考えもない、没思考その意味でジコチューな民族性でしかない、そんなふうに眺めている。その証拠が本土から離れた沖縄県民の怒りは、本土のヤマトンチューとしては、同調圏外なのである。 私はそういうB層日本人を軽蔑する。 ③もう一つ、日本人を軽蔑して止まない記憶。安倍政権時の自民党政治。私は第二次安倍政権は戦後最悪の悪質さであった、と考えている。勿論、全否定ではない。良い面悪い面は割合の問題だ。 だが、モリカケ、桜を見る会は政治の私物化、官僚の忖度、便宜供与といった日本政治の悪弊が集約された時期であったと思い返す。 しかし、モリカケ、桜を見る会など、政治の腐敗堕落の事例に事欠かなかった第二次安倍政権だが、選挙では大勝したのであった。 有権者がB層では、政治は浄化できないのである。 政治家は民度の反映に過ぎない。安倍政権の腐敗堕落は、さらに深化して今日の裏金問題に繋がった。私はB層には、オマエラの民度の反映が政治家だ、オマエラ他人事みたいに政治家非難するな、と言いたい。 B層が支持した自民党政治家は、あくまでもB層の鏡に過ぎない。その自覚がないから、B層日本人は何度でも、これからも、間違い続けるだろう。 それが日本人であり、日本国だ。残念ながら、そうとしか言えない。
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孫崎享チャンネル
(ID:119568177)
私は長年日本人をやっているから、遠慮なく言いたいことを書かせてもらう。正直に言うと、私は日本人はダメだなと思っている。
ダメだなと思っている日本人はB層だ。だが、B層は日本人のほとんどだ。だから、結果的に私は日本人として、日本人に期待はしないのである。
ダメ認定する理由は沢山列記出来る。
私にとって日本人のここがイヤだ、みたいな記憶である。
独断と偏見で思いつくままに列記する。
①ヒロヒト下血報道から大喪の礼は不快だった。日本人の全てがヒロヒトの死を悼んでいるかの「圧力」は不快と呼ばずしてなんであろうか?誰の死を悼むかは、私の自由だ。私はあれ以来、反天皇制になった。何故、日本人はヒロヒトの死に自粛ムードで同調するのか、どうでもよいと内心思っているはずなのに。「空気」を読みすぎのカンジにイラ立った。
②鳩山政権時代、沖縄基地縮小、「最低でも県外」に、ヤマトンチューは「同調」しなかった。
沖縄県民は、チンピラ米兵による少女暴行事件や基地被害を経て、もういい加減にしろ!そんなに日米安保条約が必要なら、本土に基地を持っていけ!という意思表示をしていた。
だからこそ、鳩山氏はその思いに応えようとした。私はそう理解していた。
しかし、B層日本人はその鳩山氏の思いを、ジコチューにも踏みにじった。沖縄県民の思いを踏みつけたのであった。アメリカ帝国に支配された官僚機構、マスメディアに対峙するべきは、沖縄県民と同じ目線にたった名もなき日本人達しかいない。即ち、民衆の連帯により沖縄県民の思いを政府にぶつけて、民衆の力で沖縄米軍基地を日本から叩き出すのが理想、あるべき姿。
しかし、しかし、だ。
あろうことか、時の政権、鳩山氏が「最低でも県外」といった方針に、日本の官僚、メディア、B層大衆は一斉に足を引っ張る方向に動き出した。ヤマトンチューのB層は沖縄県民がどうなろうと、知ったことではない、そう私には見えた。
この国はダメだ。日本人はアウトだ、と。私はだから、日本人B層をますます軽蔑するようになった。
私は日本人は、他者を気に掛ける、他人に迷惑をかけない思いやりのある民族性だ、みたいな論調を鼻白みながら、白けて眺めるのみだ。
本当の日本人はジコチューだ。
沖縄県民がどうなろうと、知らん顔の日本人はジコチューである。ヒトに迷惑をかけない、気遣い、気配り、日本人のこういう姿勢は表面的な取り繕い、上っ面だけで、とりあえず、横にいるヒト、隣のヒトと同じことをしておこう、程度の、なんの思想性も考えもない、没思考その意味でジコチューな民族性でしかない、そんなふうに眺めている。その証拠が本土から離れた沖縄県民の怒りは、本土のヤマトンチューとしては、同調圏外なのである。
私はそういうB層日本人を軽蔑する。
③もう一つ、日本人を軽蔑して止まない記憶。安倍政権時の自民党政治。私は第二次安倍政権は戦後最悪の悪質さであった、と考えている。勿論、全否定ではない。良い面悪い面は割合の問題だ。
だが、モリカケ、桜を見る会は政治の私物化、官僚の忖度、便宜供与といった日本政治の悪弊が集約された時期であったと思い返す。
しかし、モリカケ、桜を見る会など、政治の腐敗堕落の事例に事欠かなかった第二次安倍政権だが、選挙では大勝したのであった。
有権者がB層では、政治は浄化できないのである。
政治家は民度の反映に過ぎない。安倍政権の腐敗堕落は、さらに深化して今日の裏金問題に繋がった。私はB層には、オマエラの民度の反映が政治家だ、オマエラ他人事みたいに政治家非難するな、と言いたい。
B層が支持した自民党政治家は、あくまでもB層の鏡に過ぎない。その自覚がないから、B層日本人は何度でも、これからも、間違い続けるだろう。
それが日本人であり、日本国だ。残念ながら、そうとしか言えない。