何故、ハマスがパレスチナ人の支持を集めるのか、という点に関連するとおもわれるのだが、敵対するイスラエル・シオニスト側の精神或いはイデオロギーに関する興味深い論考がアルジャジーラに掲載されていたので紹介したい。 論考を書いたのは、ヨアヴ・リトヴィンというイスラエル系アメリカ人の精神神経科の医師、作家、写真家とのこと。 この人は、シオニズムは白人至上主義だと言い切っている。「初期のシオニストはヨーロッパのファシズム、白人至上主義、植民地主義、救世主伝道主義の多くの側面を融合し、排他主義と拡張主義の政策を推進するために反ユダヤ主義者、帝国主義者、ファシストと協力してきた長く卑劣な歴史を持っていた。」 この考え方は、実際のところ現にイスラエルにより引き起こされた虐殺、アパルトヘイト政策、ヨルダン川西岸地区への侵略植民地支配に関するイスラエル側の思想的側面をよく説明していると思われる。その意味では、シオニストに支配されたイスラエルは、ある意味で白人至上主義が国是のようになっているのではないか? シオニズムは人種差別主義、白人至上主義という分析視角により見ると、何故イスラエルはあそこまで、パレスチナ人を虐げる事ができるのか、残念ながら、目からウロコと言おうか、腑に落ちてしまうのである。 逆にいうなら、ハマスの行為を単なるテロと決めつけることは、愚かにも植民地主義と白人至上主義に手を貸す行為と言える。 https://www.aljazeera.com/opinions/2019/1/9/the-zionist-fallacy-of-jewish-supremacy https://www.aljazeera.com/opinions/2023/12/21/the-anatomy-of-zionist-genocide 「シオニズムを白人至上主義運動として理解することは、ユダヤ教をご都合主義的かつ選択的に同化させることにより、その犯罪的な入植者植民地主義的で大量虐殺的活動を曖昧にし、補強するものためのものでしかないという、より妥当な分析枠組みを生み出す。 それは、資本家、白人至上主義の家父長制によって抑圧されているすべての人々(黒人および褐色人種、イスラム教徒、ユダヤ人、移民、先住民、女性、LGBTQIなど)を1つの反人種差別主義、反植民地主義のキャンプに集め、それを支持する人々に居場所を与える。」 「このように、シオニズムを「ユダヤ人」至上主義ではなく「白人」至上主義として位置づけることは、特にシオニストの入植者植民地主義や白人至上主義一般に反対するすべての人々の間の連合形成を可能にし、強化し、「反ユダヤ主義」という皮肉な非難をロビー活動によって妨害しようとするシオニストの試みを妨げる。 」 イスラエル批判を反白人至上主義や反植民地主義として、意識的に行うことは事態を明晰に捉えた姿勢だと考えている。 というのも、兎角イスラエル批判は反ユダヤ主義と混同されタブー視される傾向が強いだろう。ホロコーストやアウシュビッツという負の歴史の中で、他者からの批判を封殺しうる永遠の絶対的悲劇的主人公のポジションをイスラエル人は得たかのようである。悲劇的主人公の前では同情以外のものは許されないカンジがある。 しかし、白人至上主義はネオナチと親和的であることはいうまでもない。とすると、シオニズムとネオナチは本質的におなじではないか? そう言えば、少なくともユダヤ人ならネオナチではない、というのは先入観乃至神話にすぎない事例を想起するとよい。 ウクライナのオリガルヒ、コロモイスキーのことである。コロモイスキーはユダヤ系だが、ネオナチで白人至上主義の武装組織アゾフ大隊に資金提供していた。ユダヤ人=反ネオナチというのは余りに単純過ぎる理解だろう。 かつて私はウクライナ応援団の先輩(後期高齢者)に、アゾフ大隊の問題を指摘したところ、「ゼレンスキーはユダヤ人だ。ネオナチと関係あるわけがない!」と意味不明のハナシで一蹴された経験がある。上記の論考による分析視角をもってすれば、この先輩の認識がいかに浅薄か、分かるというものだ。 勿論、ユダヤ人とネオナチは当然異質だ。イスラエルは勝手にイスラエルをユダヤ人と同義にしたがっているようだが、それは違う。 しかし、シオニズムとイスラエルと白人至上主義とネオナチを横一線に並べて、現実に起こっている事態、大虐殺を見ると、明晰に見えてくるものがある。 そして、それはハマスの戦いの意味と理由、パレスチナ民衆の大義を理解する手掛かりになると考えている。
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何故、ハマスがパレスチナ人の支持を集めるのか、という点に関連するとおもわれるのだが、敵対するイスラエル・シオニスト側の精神或いはイデオロギーに関する興味深い論考がアルジャジーラに掲載されていたので紹介したい。
論考を書いたのは、ヨアヴ・リトヴィンというイスラエル系アメリカ人の精神神経科の医師、作家、写真家とのこと。
この人は、シオニズムは白人至上主義だと言い切っている。「初期のシオニストはヨーロッパのファシズム、白人至上主義、植民地主義、救世主伝道主義の多くの側面を融合し、排他主義と拡張主義の政策を推進するために反ユダヤ主義者、帝国主義者、ファシストと協力してきた長く卑劣な歴史を持っていた。」
この考え方は、実際のところ現にイスラエルにより引き起こされた虐殺、アパルトヘイト政策、ヨルダン川西岸地区への侵略植民地支配に関するイスラエル側の思想的側面をよく説明していると思われる。その意味では、シオニストに支配されたイスラエルは、ある意味で白人至上主義が国是のようになっているのではないか?
シオニズムは人種差別主義、白人至上主義という分析視角により見ると、何故イスラエルはあそこまで、パレスチナ人を虐げる事ができるのか、残念ながら、目からウロコと言おうか、腑に落ちてしまうのである。
逆にいうなら、ハマスの行為を単なるテロと決めつけることは、愚かにも植民地主義と白人至上主義に手を貸す行為と言える。
https://www.aljazeera.com/opinions/2019/1/9/the-zionist-fallacy-of-jewish-supremacy
https://www.aljazeera.com/opinions/2023/12/21/the-anatomy-of-zionist-genocide
「シオニズムを白人至上主義運動として理解することは、ユダヤ教をご都合主義的かつ選択的に同化させることにより、その犯罪的な入植者植民地主義的で大量虐殺的活動を曖昧にし、補強するものためのものでしかないという、より妥当な分析枠組みを生み出す。
それは、資本家、白人至上主義の家父長制によって抑圧されているすべての人々(黒人および褐色人種、イスラム教徒、ユダヤ人、移民、先住民、女性、LGBTQIなど)を1つの反人種差別主義、反植民地主義のキャンプに集め、それを支持する人々に居場所を与える。」
「このように、シオニズムを「ユダヤ人」至上主義ではなく「白人」至上主義として位置づけることは、特にシオニストの入植者植民地主義や白人至上主義一般に反対するすべての人々の間の連合形成を可能にし、強化し、「反ユダヤ主義」という皮肉な非難をロビー活動によって妨害しようとするシオニストの試みを妨げる。 」
イスラエル批判を反白人至上主義や反植民地主義として、意識的に行うことは事態を明晰に捉えた姿勢だと考えている。
というのも、兎角イスラエル批判は反ユダヤ主義と混同されタブー視される傾向が強いだろう。ホロコーストやアウシュビッツという負の歴史の中で、他者からの批判を封殺しうる永遠の絶対的悲劇的主人公のポジションをイスラエル人は得たかのようである。悲劇的主人公の前では同情以外のものは許されないカンジがある。
しかし、白人至上主義はネオナチと親和的であることはいうまでもない。とすると、シオニズムとネオナチは本質的におなじではないか?
そう言えば、少なくともユダヤ人ならネオナチではない、というのは先入観乃至神話にすぎない事例を想起するとよい。
ウクライナのオリガルヒ、コロモイスキーのことである。コロモイスキーはユダヤ系だが、ネオナチで白人至上主義の武装組織アゾフ大隊に資金提供していた。ユダヤ人=反ネオナチというのは余りに単純過ぎる理解だろう。
かつて私はウクライナ応援団の先輩(後期高齢者)に、アゾフ大隊の問題を指摘したところ、「ゼレンスキーはユダヤ人だ。ネオナチと関係あるわけがない!」と意味不明のハナシで一蹴された経験がある。上記の論考による分析視角をもってすれば、この先輩の認識がいかに浅薄か、分かるというものだ。
勿論、ユダヤ人とネオナチは当然異質だ。イスラエルは勝手にイスラエルをユダヤ人と同義にしたがっているようだが、それは違う。
しかし、シオニズムとイスラエルと白人至上主義とネオナチを横一線に並べて、現実に起こっている事態、大虐殺を見ると、明晰に見えてくるものがある。
そして、それはハマスの戦いの意味と理由、パレスチナ民衆の大義を理解する手掛かりになると考えている。