中庸左派 のコメント

>本件国賠訴訟の意義
 
 この項目に記載されている①土屋氏ら砂川事件元被告の権利・名誉を回復すること。 ②一審「伊達判決」(駐日米軍は憲法9条違反。全員無罪)を復権させること。これについて完全に賛同する。

 その上で、やはり重い指摘だと言わざるを得ないのは、
⑤司法の独立を回復すること。という項目だと考えている。

 憲法学説上は「統治行為論」は、批判の多い概念であるが、完全否定説は極少数であろう。それは国家の自立主権や高度な政治的意思決定により正当化されている。

 しかし、国家主権や国家としての政治的意思決定が、他国即ちアメリカ帝国の意思に左右され、その結果、司法の独立が歪められていたならば、統治行為論以前の別次元の由々しき問題だと考えている。

 統治行為論を肯定するなら、少なくとも日本は自主自立の高度な政治的判断を下せる、という大前提が必要だ。アメリカ帝国の意思に従うことが、「統治」の大前提になってはならない。

 ところが、「1959年当時の最高裁判所長官で砂川事件上告審の裁判長を務めた田中耕太郎氏と駐日米国大使マッカーサー二世がプライベートに面談し、田中氏からマッカーサー大使に同事件の審理の見通しや進め方が伝えられていたことを示す公文書が、相次いで発見された。」ということである。

 これでは、統治行為論とは、アメリカ帝国による「統治」を正当化するための亡国の理論に等しい。

 従って、少なくとも、田中裁判長と駐日アメリカ帝国大使が事前に会って、打ち合わせていたかの状況は、日本の独立という意味でも、三権分立における司法の独立という意味でも、許しがたいデタラメと言わざるを得ない。

 日本というシステムのデタラメさをもっとも象徴する裁判が、今回の砂川事件国賠訴訟である。どうか、まっとうな判断が示されんことを。

 それにしても、司法警察、行政機構の腐敗ぶりは凄まじいのではないか?

 伊藤詩織さんの事件に関する権力者の介入を強く疑わせる警察捜査の歪み。モリカケ問題に典型的な行政機構による政治家への忖度と高級官僚らの露骨な保身。

 そして木原官房副長官に関連する親族の殺人事件への関与に関する警察捜査の不自然な打ち切り。

 安倍銃撃死に関する真相究明への社会的機運の欠如。

 腐敗した事実、事例はいくつも我々国民の前で白日の下に曝されているのに、社会として自浄作用が働く気配がない。ウヤムヤ、居直り、隠蔽、オトボケと時間稼ぎにより、国民が忘れるのを待つかの不誠実、不正義が蔓延っている。

 ついでに言うと、木原事案から類推すると、日本の権力中枢の要人達は、案外外国のハニートラップにもコロッとやられる類のユルイ、脇が甘い人物ばかりではないだろうか?それじゃ、日本の安全保障もなにもあったもんじゃなかろう。

 そんな連中ばかりが国家権力の中枢にいて、保身のために権力を駆使しているのが我が日本だとするなら、腐敗と落日極まれりである。

 政治家木原は日本人の民度の反映だろう。

No.4 16ヶ月前

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