p_f のコメント

> 警察庁幹部ですら合理的な説明ができない。

事件5日後、副島隆彦氏曰く、「司法解剖(検視)した、福島医師の発言は、あとあと極めて、重要だ。これを、警察庁が、どれだけ、歪めようとも、もう、それは、出来ない」と断じておられた。

> 警察庁は速やかに国民に「合理的」な説明をすべきである。

するわけがない。菅沼光弘氏はどのようなご見解だったろうか。

> 安倍元首相銃撃は日本版「ケネディ事件」なのか

これはJFKを指しているのだろうが、先日の生放送で孫崎さんがエピソードを紹介された通り、喩えるべきはRFKの方だろう。副島氏もその線で推論されていたはずだ。
アベ銃撃は、むしろ伊藤博文暗殺事件に重ねたくなるが、山上容疑者と安重根を重ねるのは無理がある。だが、少なくとも韓国にとっては伊藤博文排除が正当化されるように、日本にとってアベ排除が正当化されるのは疑いの余地無しだ。これも副島氏が主張される通りだろう。以下、斎藤泰彦著「わが心の安重根―千葉十七・合掌の生涯」より-

”そのとき、同席した元経団連副会長の安藤豊禄は...
――自分も...九十歳になるが、古い思い出をーつご紹介します。それは、あのハルビン駅頭で殺された伊藤公の随員としていった元満鉄理事の田中清次郎さんから直接きいた話です。田中さんは私の大先輩で長い間ご指導いただいた方ですが、あるとき私はこんなふうにたずねてみました。
「あなたがこれまで会った世界の名士の中で、一番偉かった人はだれでしたか」と。
すると田中さんは、即座に、
「それは、安重根だよ、残念ながら」
と答えました。
残念だが、という言葉を付けてです。それで私は、また質問しました。
「しかし、あなたは、安重根に撃たれて大けがをしたんではなかったのですか」
「そうなんだ、まことに残念ながら」
と、田中さんは二度も、”残念ながら”を繰り返していうのです。
「でも、あなたは、殺された伊藤公と同じ長州人ではありませんか」
と、私はなおも不思議に思っていました。
すると田中さんは、往時をしのぶように、
「人の偉さというのは、ほんの一瞬の出会いでも分かるものなんだね。つまり、人間の奥深さというものは、長い年月かけても分からないものだが、一瞬の内に垣間見せられる場合だってあるということだ。だから、その人の行為がどんなものであるかも、瞬間に理解できることだってあるんだ。安が伊藤公に向けていた眼差しは、ほんの数秒間にも満たない時間であったが、このボクには何とも言えないほど清々しいものに見えた。この人物はただ者ではない、とね。
妙な話だが、ボクは撃たれた痛みを感じるよりも、安の眼差しにクギ付けになっていた。現場にいたのはわずか二分間ぐらいだが、正直いって、その短い時間内で、ボクは初めて見る安重根という人物にすっかり感服してしまった。これはまさに、インスピレーションというものだね」
と、言ったのですよ。
それから私は、田中さんから指摘された日韓の歴史、さらに近代史などを調べている間に気づいたことがある。それは安重根についてのことですが、と安藤は話をつづけた。
――安が処刑されたとき私は十三歳でしたが、少年の心にも、あの事件報道は非常に印象の深いものでした。それで後年いろいろ勉強しているうちに、あの伊藤公殺害は、はたして安の「暗殺またはテロ」と言えるのかどうか、ということを考えさせられた。あんなに白昼堂々と衆人監視の中で、しかも世界の偉い人たちを集めている中で、たいへん安らかというか、平静な態度で伊藤公を撃ち、その狙った三発が全部致命傷になるという、こんな「暗殺の歴史」は世界にない。どうも「暗殺」という言葉と、現場の状況とは合わないのですよ。
また当時、安重根は公判でも述べたように独立義兵闘争という戦時態勢で臨んでいたから、どうも「テロ」という言葉もそぐわない。随行した田中清次郎さんが、ピストルの発射音がして伊藤公を見たら、もう倒れていた。あとは一言も言わずに死んでいったという。そして韓国万歳、と叫んだ安は、そのまま縛についた。やがて死刑の判決を受け、控訴もせずに「みずからの罪」として死んでいった。この光景は一体何と言ったらよいのか、いまだに考えさせられるのです。やはり「明治のはじまりから日本の内政 ・外交の最大眼目にされた朝鮮収奪のなかで、追いつめられ韓民族が、安という一人の人間を通して、”生存への選択“をギリギリの処で示した」と言えなくもないのです。
安藤はそう締めくくって、静かに安と千葉の遺影に合掌するのだった。”

No.1 21ヶ月前

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