さらに、この【事実と虚構】という考え方自体が、古典的だと自分には感じられる (無意味だとか、間違いだとか言っているわけではありません)。 【事実】は、【理論】と切り離せない。ここでいう【理論】とは、いわゆる理論だけでなく、 【事実】を補強する考え方という程度の軽い意味のものまで含む。 たとえば、「視野のなかに赤い輝点がみえる」 といった程度の【事実】ですら、それを言っている人の目や身体やアタマの健康状態だとか、 その人が嘘つきかどうかと言う性格などについての【理論】とは切り離せない。 これはまあ、当たり前のことのようにおもうが、 古典的なラッセルや前期ヴィトゲンシュタインの認識論を超えて、 クワインやデビドソンなどが緻密に理論化するまでは、それほど当たり前とも言えなかったらしい。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
さらに、この【事実と虚構】という考え方自体が、古典的だと自分には感じられる
(無意味だとか、間違いだとか言っているわけではありません)。
【事実】は、【理論】と切り離せない。ここでいう【理論】とは、いわゆる理論だけでなく、
【事実】を補強する考え方という程度の軽い意味のものまで含む。
たとえば、「視野のなかに赤い輝点がみえる」
といった程度の【事実】ですら、それを言っている人の目や身体やアタマの健康状態だとか、
その人が嘘つきかどうかと言う性格などについての【理論】とは切り離せない。
これはまあ、当たり前のことのようにおもうが、
古典的なラッセルや前期ヴィトゲンシュタインの認識論を超えて、
クワインやデビドソンなどが緻密に理論化するまでは、それほど当たり前とも言えなかったらしい。