こういう場合は、「対偶」をとってみると、わかりやすいことがあります。 ①「中国人は外面をかざるのが第一のひとびとであることを指摘する」ならば「中国人のことを嫌っている」 これの対偶をとると、 ➁「中国人のことを好き」ならば「中国人は外面をかざるのが第一のひとびとであることを指摘はしない」 さて、➁は一般的に正しいでしょうか。一般的には好きならばこそ苦言を呈するということもあるのだから、➁は大勢としても成り立たないことでしょう。すなわち①も成り立たないのです。 あるいは、「好き・嫌い」について➁のような意味でしか(しかも国際関係においても!!)とらえられない。そういう場合はあることでしょう。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
こういう場合は、「対偶」をとってみると、わかりやすいことがあります。
①「中国人は外面をかざるのが第一のひとびとであることを指摘する」ならば「中国人のことを嫌っている」
これの対偶をとると、
➁「中国人のことを好き」ならば「中国人は外面をかざるのが第一のひとびとであることを指摘はしない」
さて、➁は一般的に正しいでしょうか。一般的には好きならばこそ苦言を呈するということもあるのだから、➁は大勢としても成り立たないことでしょう。すなわち①も成り立たないのです。
あるいは、「好き・嫌い」について➁のような意味でしか(しかも国際関係においても!!)とらえられない。そういう場合はあることでしょう。