私が知るネトウヨというのは、日韓ワールドカップ後かつ2000年代のはじめに、在日韓国朝鮮人たちが言い出した言葉です。日韓ワールドカップを経て、韓国・北朝鮮や、その日本における同調者の欺瞞に気づいた一部の日本人(当時の高校生、大学生、若い社会人が多かった)たちは、当時勃興しつつあったネット(パソコン通信の時期は終わり、ブログが全盛を迎えていた)で日本と半島との交流史や併合時代の歴史、さらには慰安婦問題などについての意見や情報を交換しながら、ネットのなかでは無視できない集団になりつつあった。 当時は、少なくなりつつあったとはいえ、「在日は強制連行されてきた半島人の末裔だ」との、朴慶植らが作った大嘘を信じている人々もまだまだいた時代であり、これも含めて日本と半島についての真実を暴かれることに危機感をいだいた当時の在日韓国朝鮮人たち(民団と総連の区別もうすれつつあった)が、「ネットで意見や情報を交換しながら」という今までの右翼になかった属性に着目して、彼らのことを「ネット右翼」と名付けて蔑称とした。「熱湯浴」といった隠語も一時限定的に使われたりしたが、そのうち「ネトウヨ」という略称が定着した。 以上がわたしが知るネトウヨの由来です。この由来について、わたしはその用語がまさに発生する現場に自分がいたという意識があるので、それなりに自信をもっていますが、もしかしたらぜんぜん別の由来を語る人もいるかもしれませんし、それを間違いだというつもりもありません。ネトウヨというのは、当時、真実を求めてほぼ同時発生的に日本のあちこちで生まれた多数の集団の(反対側からの蔑称としての)総称であり、こうした出来事の常として、由来についていろんな物語があって当然です。 しかし、ここで申し上げたいのは、わたしはCHANGEさんがどういう方か存じませんが、このネトウヨの起源のときにネトウヨであった可能性はまず皆無でしょうね。 わたしが見るところ、ナチさんなどは、時折ネットで書く以外は「人生ずっと共産党に投票してきた」だけが誇りでそれ以外になにも武勲のようなものはない始末であり、こういう人こそ「ネット〇〇」と呼ばれるにふさわしいことでしょう。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
私が知るネトウヨというのは、日韓ワールドカップ後かつ2000年代のはじめに、在日韓国朝鮮人たちが言い出した言葉です。日韓ワールドカップを経て、韓国・北朝鮮や、その日本における同調者の欺瞞に気づいた一部の日本人(当時の高校生、大学生、若い社会人が多かった)たちは、当時勃興しつつあったネット(パソコン通信の時期は終わり、ブログが全盛を迎えていた)で日本と半島との交流史や併合時代の歴史、さらには慰安婦問題などについての意見や情報を交換しながら、ネットのなかでは無視できない集団になりつつあった。
当時は、少なくなりつつあったとはいえ、「在日は強制連行されてきた半島人の末裔だ」との、朴慶植らが作った大嘘を信じている人々もまだまだいた時代であり、これも含めて日本と半島についての真実を暴かれることに危機感をいだいた当時の在日韓国朝鮮人たち(民団と総連の区別もうすれつつあった)が、「ネットで意見や情報を交換しながら」という今までの右翼になかった属性に着目して、彼らのことを「ネット右翼」と名付けて蔑称とした。「熱湯浴」といった隠語も一時限定的に使われたりしたが、そのうち「ネトウヨ」という略称が定着した。
以上がわたしが知るネトウヨの由来です。この由来について、わたしはその用語がまさに発生する現場に自分がいたという意識があるので、それなりに自信をもっていますが、もしかしたらぜんぜん別の由来を語る人もいるかもしれませんし、それを間違いだというつもりもありません。ネトウヨというのは、当時、真実を求めてほぼ同時発生的に日本のあちこちで生まれた多数の集団の(反対側からの蔑称としての)総称であり、こうした出来事の常として、由来についていろんな物語があって当然です。
しかし、ここで申し上げたいのは、わたしはCHANGEさんがどういう方か存じませんが、このネトウヨの起源のときにネトウヨであった可能性はまず皆無でしょうね。
わたしが見るところ、ナチさんなどは、時折ネットで書く以外は「人生ずっと共産党に投票してきた」だけが誇りでそれ以外になにも武勲のようなものはない始末であり、こういう人こそ「ネット〇〇」と呼ばれるにふさわしいことでしょう。