ダイアモンド米国人類学者の説、うん、なるほど、面白いですね! 朝鮮と日本は対馬海峡を隔てるだけなのにその言語に異質性を感じるのは私だけではないだろう。英語人がドイツ語人にどう感じるのだろうか。我々が朝鮮語に感じる異質性と同じように感じるのだろうか?この疑問はさておき、今日のテーマは朝鮮語と日本語。 私が育った九州北部の一部地域では、今はどうか知らんが、「ノー」と言いたいとき、「インニャ」と言った。韓流ドラマ見ていたら、韓国人は「アンニャ」と言っている。これ一緒じゃんというのが正直驚きです。その程度しか共通性が無い。近いのに何故?というのが疑問だった。 10年ほど前だったか、日本人の若い朝鮮古代史研究家の本に古代日本語が高句麗語と関係が深いと書かれているのを知った。この研究家曰く。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、と数字を唱える、つまり、ひ、ふ、み、よ、、、、と呼ぶ言語のありかたが高句麗語そのものだと。 戦後、東大の日本史の教授が「日本人、騎馬民族」説を唱えて、世間を騒がしたが、ひ、ふ、み、、、を考慮に入れるとその学者の説を信じたくなる。 高句麗は韓国人の多数が好感を持つ古代国家らしい。我らの先祖に高句麗人がいたということは韓国人と共通の先祖を持つことになり仲良くなれないのが不思議だ。
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孫崎享チャンネル
(ID:19005377)
ダイアモンド米国人類学者の説、うん、なるほど、面白いですね!
朝鮮と日本は対馬海峡を隔てるだけなのにその言語に異質性を感じるのは私だけではないだろう。英語人がドイツ語人にどう感じるのだろうか。我々が朝鮮語に感じる異質性と同じように感じるのだろうか?この疑問はさておき、今日のテーマは朝鮮語と日本語。
私が育った九州北部の一部地域では、今はどうか知らんが、「ノー」と言いたいとき、「インニャ」と言った。韓流ドラマ見ていたら、韓国人は「アンニャ」と言っている。これ一緒じゃんというのが正直驚きです。その程度しか共通性が無い。近いのに何故?というのが疑問だった。
10年ほど前だったか、日本人の若い朝鮮古代史研究家の本に古代日本語が高句麗語と関係が深いと書かれているのを知った。この研究家曰く。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、と数字を唱える、つまり、ひ、ふ、み、よ、、、、と呼ぶ言語のありかたが高句麗語そのものだと。
戦後、東大の日本史の教授が「日本人、騎馬民族」説を唱えて、世間を騒がしたが、ひ、ふ、み、、、を考慮に入れるとその学者の説を信じたくなる。
高句麗は韓国人の多数が好感を持つ古代国家らしい。我らの先祖に高句麗人がいたということは韓国人と共通の先祖を持つことになり仲良くなれないのが不思議だ。