真の自己に目覚め、自己主張できる人格者の集まりが、本来の民主主権を主張して行くものではないか。 真の自己に目覚めるとは、他人の主張を自己消化し、自己主張との違いを認識し、自己主張するものであるべきでしょう。 「自己を肯定他己を否定、自己を否定他己を肯定」の相互論理転換(哲学者鈴木大拙は即否の論理といっている)が容易にできる人でないと、選挙などの結果を認めることができず、体制批判を続けることになる。自己主張にこだわりすぎるのです。 民主主義と言っても、世の中に定まった正義があるわけでなく、選挙とか多数決で全員で決めたこと(正義)に従わないということは、他人の主張を認めないことになり、民主主権の政治を否定することに他ならない。 現在の政治は、ライシャワー博士がいっているように、「日本国憲法は日本人の意思で作ったものでなく、米国の意思を盛り込んだ憲法をあたかも日本人が作ったごとく暗示をかけられている」ように、民主主義どころか、憲法さえ自らの手で作っていないのである。定型的でない流動する国際政治の中で憲法の見直しさえできないのであれば、民主主義など「高根の花」であり、望んでも得られない。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
真の自己に目覚め、自己主張できる人格者の集まりが、本来の民主主権を主張して行くものではないか。
真の自己に目覚めるとは、他人の主張を自己消化し、自己主張との違いを認識し、自己主張するものであるべきでしょう。
「自己を肯定他己を否定、自己を否定他己を肯定」の相互論理転換(哲学者鈴木大拙は即否の論理といっている)が容易にできる人でないと、選挙などの結果を認めることができず、体制批判を続けることになる。自己主張にこだわりすぎるのです。
民主主義と言っても、世の中に定まった正義があるわけでなく、選挙とか多数決で全員で決めたこと(正義)に従わないということは、他人の主張を認めないことになり、民主主権の政治を否定することに他ならない。
現在の政治は、ライシャワー博士がいっているように、「日本国憲法は日本人の意思で作ったものでなく、米国の意思を盛り込んだ憲法をあたかも日本人が作ったごとく暗示をかけられている」ように、民主主義どころか、憲法さえ自らの手で作っていないのである。定型的でない流動する国際政治の中で憲法の見直しさえできないのであれば、民主主義など「高根の花」であり、望んでも得られない。