「王政復古」の権力闘争の背景に武力があることを言わんとしているのでしょうか。 当事者であり、わかっていないはずがないのに、西郷の「得ざる時は之れあるのみ」と剣を示したそうであるという伝聞言葉に引っかかり、少し調べてみた。 「西郷から岩倉、岩倉から浅野、浅野から土佐藩の後藤象二郎に説得が重ねられ,豊信(容堂)は心折れ、王政復古を議定した」という表現は、権力闘争が武力の結果であることを強く暗示している。 一方、岩倉公実記の「豊信(容堂)猶ほ~決っせんのみ」の文章とほとんど同じであるが、浅野長勲自叙伝では、最初に武力誇示者西郷が加えられている。 このあたりの差異がどうして出たのか興味のあるところです。そのあたりの論考があると面白い。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
「王政復古」の権力闘争の背景に武力があることを言わんとしているのでしょうか。
当事者であり、わかっていないはずがないのに、西郷の「得ざる時は之れあるのみ」と剣を示したそうであるという伝聞言葉に引っかかり、少し調べてみた。
「西郷から岩倉、岩倉から浅野、浅野から土佐藩の後藤象二郎に説得が重ねられ,豊信(容堂)は心折れ、王政復古を議定した」という表現は、権力闘争が武力の結果であることを強く暗示している。
一方、岩倉公実記の「豊信(容堂)猶ほ~決っせんのみ」の文章とほとんど同じであるが、浅野長勲自叙伝では、最初に武力誇示者西郷が加えられている。
このあたりの差異がどうして出たのか興味のあるところです。そのあたりの論考があると面白い。