ノーマンは、日本の軽井沢で生まれ、1955年体制で自由民主党と日本社会党が対立していた面もあるが、米国からの軍事要求を撥ね返していた時代の1958年に「日本の農民と兵士」を発刊している。 カナダの外交官であるが、50年代にソ連のスパイの疑いが掛けられ、自殺している。 50年台どころか、1935年に、英M15(情報局保安部)がノーマンを共産主義者と断定し、51年にカナダ政府に通報している。左翼的傾向が強く,初期のGHQ日本占領政策に関与しており、再検証が求められているようだ。 このような人物であること、また、戦前は、植民地政策を列強が競っていた時代でもあり、悲惨な事実を否定するものではないが、日本だけがすべての責任を負うものでなく、植民地政策そのものが否定されるものでしょう。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
ノーマンは、日本の軽井沢で生まれ、1955年体制で自由民主党と日本社会党が対立していた面もあるが、米国からの軍事要求を撥ね返していた時代の1958年に「日本の農民と兵士」を発刊している。
カナダの外交官であるが、50年代にソ連のスパイの疑いが掛けられ、自殺している。
50年台どころか、1935年に、英M15(情報局保安部)がノーマンを共産主義者と断定し、51年にカナダ政府に通報している。左翼的傾向が強く,初期のGHQ日本占領政策に関与しており、再検証が求められているようだ。
このような人物であること、また、戦前は、植民地政策を列強が競っていた時代でもあり、悲惨な事実を否定するものではないが、日本だけがすべての責任を負うものでなく、植民地政策そのものが否定されるものでしょう。