りゃん のコメント

光を失いつつある眼に稲妻があらわれる という表現は、死にゆくものの描写として、深い観察眼と情感がともに感じられ、なにか心の深いところに落ちてくる感じがする。

加藤幸子に「海辺暮らし」という短編がある。水俣病とおもわれる病気による主人公の死が暗示されて小説は終わるが、その最後の部分はこうだ。

【お治婆さんの視野がしだいに狭くなり、中心に細い光のリボンが残った。闇を縦に切り開いたその光の中に、猫だけがいつまでも坐っていた。】

昔この小説を読んだとき、この部分に強くひかれた。水俣病の症状としての視野狭窄もうけてはいるだろうが、それだけではない厚みを感じた。今回、漱石の表現にその起源があるのだとわかり(今のところ自分でおもっているだけだとおもうが)、腑に落ちた気がする。

No.4 78ヶ月前

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