こういう運動が勢いをもつというのは、それなりの個別具体的事情が背景にあるはずなのですから、イタリアにおけるそこのところを明らかにした上でさて日本ではと考えるのでなければ、愚劣な議論になります。 直接民主主義と間接民主主義はどちらかが絶対的に優れているというものではありません。今回の孫崎さんの記事を読んで、あ、やっぱり直接民主主義がいいのだと思い込む馬鹿ななひとびとが政治に強い影響をもつことを排除するためには、やはり間接民主主義も捨てがたいところがあります。 その議論はルソーの「全体意志」と「一般意志」との区別にまでさかのぼることができましょうが、われわれの日本国憲法も、前文の冒頭で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と、明記して、日本は間接民主主義をとることを宣言しており、実際に国政においては直接民主主義的制度は、憲法改正の国民投票、最高裁裁判官の国民審査、地方自治特別法の住民投票のみっつしかありません。国政における直接民主主義は、日本では、政治運動としてはともかく制度として実装するのは、憲法改正が必要になるということになるわけです。 なぜこのように直接民主主義が慎重に排除されているのかを学ぶことこそが、日本が「日本民主主義人民共和国」にならないために必要な教養であろうとおもいます。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
こういう運動が勢いをもつというのは、それなりの個別具体的事情が背景にあるはずなのですから、イタリアにおけるそこのところを明らかにした上でさて日本ではと考えるのでなければ、愚劣な議論になります。
直接民主主義と間接民主主義はどちらかが絶対的に優れているというものではありません。今回の孫崎さんの記事を読んで、あ、やっぱり直接民主主義がいいのだと思い込む馬鹿ななひとびとが政治に強い影響をもつことを排除するためには、やはり間接民主主義も捨てがたいところがあります。
その議論はルソーの「全体意志」と「一般意志」との区別にまでさかのぼることができましょうが、われわれの日本国憲法も、前文の冒頭で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と、明記して、日本は間接民主主義をとることを宣言しており、実際に国政においては直接民主主義的制度は、憲法改正の国民投票、最高裁裁判官の国民審査、地方自治特別法の住民投票のみっつしかありません。国政における直接民主主義は、日本では、政治運動としてはともかく制度として実装するのは、憲法改正が必要になるということになるわけです。
なぜこのように直接民主主義が慎重に排除されているのかを学ぶことこそが、日本が「日本民主主義人民共和国」にならないために必要な教養であろうとおもいます。