younghope のコメント

集団生活を営む社会においては、一定の道徳倫理による規律規範が必要である。皆が規律規範を守れば、刑罰などいらないから法律なども必要ないといえる。残念ながら、規律規範だけでは成り立たなくなっているから、法律により罰則規定を作っているといえる。
前提の条件である規律規範が欠けてくれば、加計学園など学校をつくる場合も、仲間で話し合い、行政を手足のように動かし、目的を遂行することになる。本来の官僚として、公僕意識があれば、反抗するのであるが、なんせ、人事権を握られているから、辞職をかけなければ抵抗できなくなる。このような社会は何と名付けたら良いのだろうか。

行政府の無責任体制だけではない。そう無責任社会の到来である。
①学校の「イジメ」は、どのように機能しているか。市町村、教育委員会、学校、父兄の無責任体制の犠牲者が生徒である。生徒のことをわがことと考えず、皆が保身に走っているのです。--個性のない子供たち、みんな一緒という集団になっているのです。
②障害者施設での障がい者が「社会に不要な人間」と位置付けられ殺害されたが、人間の深層意識に内在する差別意識を乗り越える方策が話し合われることなく、精神障害に対する偏見だけが横行している。ーー皆同じ弱い苦労を背負った人間であるという意識が欠けているのです
③集団的自衛権で、米国のために犠牲になるのは、自衛隊員、すなわち国民である。日本を守るのが重要な自衛隊員が、何故、米国のために遠い土地で死ななければならないか。あまりにも国民が無関心すぎる、ーー他人ごとでなく、自分のことという意識が欠けているのです。

このような、自己主張できない弱い立場の人を救おうとしない社会の到来は、日本に長く浸透している道徳倫理が崩れていく末期的症状なのでしょう。道徳倫理を守ることは、時間もかかるし難しい。壊すのは容易である。人間の道を教えず、体制社会に必要なテクニックだけを教え、その習熟度で評価する社会は、相手を思いやらないロボット化した人間社会でしかない。「イジメ」が日常化するのです。でも、ロボットに勝てない。人間の価値に対して、どう結末をつけるのだろうか。

No.1 87ヶ月前

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