Mythe et poeme のコメント

村上春樹の思考はソフィスト的だと思う。要するに彼は「何が売れるか」ということを行動の原理に据えてきた人だ。
彼は初期から商売の成功の秘けつを自慢げに書いている。(彼はバーをやっていて、成功していたとよく吹いている。)
そこで、10人中10人にまあまあ良いと思われるようなやり方ではだめで、1人か2人の顧客を捕まえるようなやり方が継続的な商売の秘けつだという意味のことを言っている。これを繰り返し書いている。
バーでも小説でも彼は成功した。たいしたもんだよ。

このこと自体はマーケティングの理論としては優れており、彼の商売人としての優秀性を物語って余りあると言えるのだが、そんな資質は文学には没交渉の資質だ。(「没交渉」も通じんだろうな。)

「売れる」という属性は「文学」とは没交渉である。この大量消費社会で「売れる」ということはむしろ「文学」にとっては恥ずかしいことじゃないかな。作家が自分の表現したいことを表現したら「売れる」わけがない。

文学を「売る」ということは、感動を売るということであり、消費者として文学を消費するということであり、そこにはもはや、自分自身の密やかな「こころ」の場所など予定されていないということだ。
「うける」ことが前提に、工業製品の如く生産される本は「文学もどき」と呼ばれる。

もはや素材の味をうまいと思わずに、味の素がどっさりはいったインスタント食品の方がうまいと思うように、「文学もどき」じゃないと楽しめないということは、人生は売ったり、買ったりできない数多くの喜怒哀楽あればこその人生だということがもはや分からなくなっている感性音痴の、守銭奴の、洗脳大衆の一員になることだとまでは言わんが、暇つぶしに読むわけだ。むろん、「文学もどき」を買いたい人々がいるから売れるわけで、悩みもなく、心の問題もなく、何となく生きている人々の娯楽のために「文学もどき」が供給されることに不思議はない。

しかし、売れるからなんだというんだよ。
「売れないもの」を書いている人々よ、村上的なものと闘うべしだ。
物そのものとか、心とか、今や死語になっているものの「声」をもう一度聴き取る作家よ出でよ。

No.8 99ヶ月前

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